『子どもたちの時間』

3月理事推薦本
内山 節 著『子どもたちの時間 内山節著作集11』(農山漁村文化協会 2015年)

 内山節は、1970年代から東京と群馬県上野村を往復して暮らす哲学者である。「子どもたちの時間」は、岩波書店刊行の「子どもと教育」シリーズの1冊として、はじめて子どもを主題にして書かれた本であり、あとがきにも「少年期の子どもたちが今どんな精神社会の中で成長しなければならないのか」を書こうとしたものである。
 「学ぶことの中には、『自由』というより、『自在』があることを感じていたのだけれど学校はそんな『自在』を奪ってみんなを同じ秩序におこうとする。教師が、教えることの専門家、その意味で技術者として登場するだけなら良かったが・・・・権力者のようにふるまう事にもうんざりしていた」から「教育」については語ってこなかったそうだ。だが、作者は、フランスのピレネー地方の村に暮らす子どもたちの情景、群馬県上野村の子どもたちの情景、そして彼自身が経験してきた子どもの頃の情景を思い浮かべているうちに引き受けてみようという気持ちになったそうである。
 本書の基底をなす考え方は、「文明とは、文明の構造とその文明のもとでの主導的な精神が相互補完的に結ばれることによって成立している。」というものであり、したがって、彼は、現代の子どもたちの姿を現代人の精神の習慣から解きあかそうとしている。そして、近代以降疑われることなく貫かれた近代人の精神、すなわち「合理主義」「発達主義」「科学主義」「個人主義」という4つの主義の再検討へと突き進む。現代社会の精神の習慣を解き明かすことにより、その社会に投げ込まれている現代の子どもたちの苦悩を明らかにしようとしているのだ。
 かれは、「現代社会の多くが間接的関係に変わっただけでなく、関係の対象がとらえられなくなった。見定めることのできないものとの関係を結びながら生きているのが、今日の私たちの状況である。今日の時代においては、様々な領域において根本的なことは、見定められないのにその結果現われる現実にふりまわされているのである。」と、現代社会をとらえている。故に、「今日の課題は、見定められない関係に包まれて生きる世界を、とらえられる関係を軸とする世界に変えていく試みとともにあると言ってもよい。」と述べているのである。とりわけ私自身が興味を持ったのは、教育を論じる際に、「発達主義」「個人主義」を批判検討しているということであった。
 「学校に通う他の生徒たちは、かっては関係する人々だったはずなのに、次第に無関係な人々に変わっていく。教師も同じように自分にとっては、どうでもよい無関係な人として感じられていく。近所の人々も、時には家族も無関係な人たちでさえあります。」
 つまり、教育の目的は、自己を完成させる事、昨日の自分より進歩した自分を創造すること。したがって、今という時間は、常に未来の自分のために消費される時間になってしまった。しかし、人間は関係の中に存在していて、肉体としての個人があったとしても「関係」なくして存在し得ないから、「もしも成長とか教育という言葉を使うのなら、それは、子どもたちの生きて行く関係が広がるように応援することでなければならない。」「人間の存在は、関係が作り出す時間とともに展開しているのである。」と。そして現代の精神の習慣を、次のように述べている。
 「すべてが個に還元されていく社会においては、自分という個ともうひとつ自分という個との関係が自己を創りだしていく。それは、未来の私のために今の私を生きるようになって自己完結的世界の中に私たちを閉じ込めた。目的は未来の自己でしかなくなりこうしてたえず未来の自己のために現在の自己を消費する」
 そして、このような精神の習慣を「人生の経営化」と彼は、名付けた。
 私たちが無意識のうちに当たり前だと思ってきてしまった価値観を根本から問い直そうとする彼の哲学から、私たちは、あきらめずにより良い社会を目指してみたいと思わせる1冊である。(N.J)