内容 『子どもの主体的な学びと生活綴方―「学力」支配から自由になる―』
講師 和光大学 奥平 康照先生
日時 2017年 5月8日(月)19:00~21:00
場所 大和文化創造拠点シリウス603号室
参加者 11名
1951年3月に無着成恭が発行した『山びこ学校』(青銅社 現在:岩波文庫)から、生活綴方の実践をみた。この山形県山元村という貧しい村にある学校での実践は、『子どもたちの生活記録』で、それを学級文集にしたものだった。ある生徒は『雪』を、ある生徒は『母の死とその後』をタイトルに、自分自身の感情を記録している。その『記録』は正直な子どもたちの生活が記されていて、「どうやったら貧乏から抜け出せるか」、真正面から考えようとしているものだった。1人の子が抱える困難を学級の生徒が支える。子どもたちが自分の貧困を見ようとする、子どものつらさを教師が知る、そして寄り添い、支える。そんな実践をみることができた。
生活綴方は子どもたちの共通の課題に取り組むときにとても有効であるが、1960年代から生活綴方が消えていった。共通の課題であった『貧困』は、国が豊かになり、特別な課題となってしまった。
今、生活綴方を実践しようと思ったとき、子どもたちは自分の生活記録を真正面から記せるのだろうか。周りの生徒との生活環境の違い、経済の背景、様々な自分自身の課題を見つめた生活綴方ができるのだろうか。「貧困」を隠さず記し、自分の課題として学級文集にできるのだろうか。また教師は、その子どもたちの本当の課題を真正面から受け止めることができるのだろうか。子どもたちの抱える生活にまで入り込んで一緒にその子のつらさに寄り添い、一緒に解決へ向かっていく覚悟を持てるのだろうか。そんなことを考えさせられた。
また、生活綴方は、「子どもたちが本当に学びたいことは何か、見つけなければならない」ということの問いにもぶつかる。学校で学ぶことと本当に子どもたちが学びたいこと。 これからの社会をつくり生きていく子どもたちが、自分たちの課題を見つめ、解決する力をつけるために教師は何ができるかを考えるきっかけとなる学習会であった。
◎以下、参加者の感想一部抜粋
「生活の課題を見つめ取り組むこと」 今を生きる子どもたちにとても必要で大切なことだと思いました。学力向上が注視される中で一人一人が抱える課題をキャッチしていかに寄り添えるか、教師としての技量を高めなくては、と思いました。
実感を持った日々を切り取らせること、自分の感情をそのまま表現させること、現代の子どもたちにとっては、難しい部分もあると思います。でも、この仕事に就き、日々子どもたちと過ごしている今だからこそ、できることがあるとも感じました。子どもと“ともに”辛いことも嬉しいことも分かち合える教員でありたいです。
子どもたちが自分の生活をありのままに書く、書けるようになるには教師と子どもたちの距離がとても大切だと思いました。子どもたちの現状を、苦しいことも悲しいこともその実態を教師がしっかりと見つめ、寄り添うことができなければ、成り立たないと思いました。ただ、その苦しさ、悲しさをその子の周辺にいる子どもたちが共有するということは、様々な家庭環境がある現代では難しさを感じました。ですが、子どもたちにできるだけ寄り添い、今できることをしたいと思います。
「子どもたちが学びたいことを子どもたちと一緒に探す。ただし、子ども自身も何が学びたいかわかっているわけではない。」 というお話が生活綴方を端的に表しているようで、久しぶりに色々と思い出しました。現代版の生活綴方を先生方と一緒に考えていきたいと思います。
2017年05月21日
理論学習会
5月理論学習会の報告