鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店 2016)
本書はアメリカの大学院で教育学を学ぶ著者がアメリカで現在進行中の新自由主義に基づく教育改革の特に「陰」の部分を描き出し、日本の学校教育関係者への「警告」として著されたものである。
私は、規制緩和や民営化の「光」の部分がクローズアップされることが多い昨今、そのような改革が果たして良いのか悪いのか、本当のところはどうなんだろう?と疑問に思っていた。市場がすべてを解決してくれるという話は本当なのだろうか、あるいは幻想なのだろうか。本書は市場先進国のアメリカの教育事情を事例としてその疑問に対するヒントを教えてくれる。
構成は以下のとおりである。
はじめに-日本人が知らないアメリカの教育の闇
第1章 教育を市場化した新自由主義改革
第2章 企業の企業による企業のための教育改革
第3章 市場型学校選択制と失われゆく「公」教育
第4章 発展途上国からの「教員輸入」と使い捨て教員
第5章 PISAと教育の数値化、標準化、そして商品化
第6章 アメリカのゼロ・トレランスと教育の特権化
第7章 アカウンタビリティという新自由主義的な「責任」の形
第8章 「プロ教師」育成の落とし穴―「生かす」というパラダイムシフト
第9章 シカゴ教員組合ストライキ-組合改革から公教育の「公」を取り戻す市民運動へ
第10章 立ち上がったアメリカの人々
おわりに-三人の先生
私にとって特に印象的だったのは、第4章と、第5章、そして第9章である。
第4章の「教員輸入」の話では、教員養成における規制緩和が進んだ影響で教職の非専門職化が進み、今や「使い捨て労働者」として遇される状況にまで行きついてしまった状況が示されていた。日本ではそこまで極端とは言わないまでも、昨今の教員採用のありようを思い浮かべると、決して対岸の火事ではないように思われるのである。
さらに第5章の「PISA」の話では本来多様であるはずの「学力」が、標準化・数値化可能な「学力」に矮小化されグローバル経済への貢献可能性として尺度化されてしまうことの危険性が指摘されていたが、まさに「学力」が今まで以上に強調され追求される今の日本の状況を描いているようであった。
そして第9章では、新自由主義的改革に立ち向かうための一種の処方箋が示されていた。それはどんどん私化されていく教育にいかに「公」を取り戻すのか、その鍵となったのが教員の意識であり団結であり、周囲への働きかけであったことが示されている。日本では本書で示されたようなストライキが行われる可能性は低いと思われるが、それでも現場に立つ教員の持つ「力」と教育に対する意識の高さを保つことが、やはりとても重要なのだと感じられた。
矢継ぎ早に「教育改革」が行われ、ますます現場の多忙化が進んでいると思われるが、今日の「改革」が何を目指し、私たちと私たちの子どもに何を行わせようとしているのかについて、少し立ち止まって考えようとする際にとても参考になる本である。ぜひ現場の先生方に手に取っていただきたいと思う。(TH)