6月 乱暴なコミュニケーション

乱暴なコミュニケーション

 6月になり、教室に顔を出す子どもたちも固定してきました。
 中学3年生は定期テストを控えてまじめに勉強に取り組んでいます。周りがどれだけドタバタと騒がしくしていても、淡々と勉強に集中しています。「学習は静かな環境で行われるべき」という私たちの常識が見事に覆されます。ある小学生は、いつも大騒ぎをするのですが、騒ぐのは自分の勉強が終わってからです。宿題をやり終えてから騒ぐのです。ある意味、きちんとけじめが付いています。
 勉強に取り組む子どもたちがいる一方で、勉強の「べ」の字にも見向きもしない子どももいます。
 例えばZ君は教室に来るときには勉強道具をまったく持ってきません。そして実に自由に振る舞います。そんなZ君とよく絡むのはY君です。Z君とY君は果たして仲が良いのか悪いのか分かりません。とにかくどちらかが近くにいれば、どちらともなくちょっかいを出し、口汚く罵り合い、取っ組み合って、それはもうすごいことになります。これを延々と繰り返します。
 スタッフも最初はなんとか彼らを落ち着かせ、勉強に向かわせようと様々な試みをしてみましたが、あまりうまくいきません。2人の取っ組み合いが本気の喧嘩になって、その結果どちらかが腹を立てて教室の途中で家に帰ってしまうことがあっても、次の週になると彼らはほぼ毎回一緒に教室にやってくるのです。そうした様子を見ているうちに、彼らの罵り合いや、取っ組み合いが彼ら特有のコミュニケーションの形なのかもしれないと捉えるようになりました。そして彼らにとっての「教室」が「居場所」のひとつとして意味づけられているのだろうと考えるようになりました。スタッフとしては彼らに勉強に向かってほしいと切に願うのですが、まずは「ここに来た」ということを受け入れようと思います。

 とはいえ、あまりに乱暴な「コミュニケーション」はいらぬ誤解を生み、思わぬ結果につながることも考えられます。あるときZ君は教室にやってきたX君に「お前、帰れ!」と言ってしまったがために、X君が本当に帰ってしまったことがありました。Z君のその後の様子を見ると、どうやらその言葉は本意ではなかったようでもあります。Z君にとっての乱暴な声のかけ方は、ある種の親しみの表れかもしれません。もしかしたら優しく声をかける、挨拶をするということが恥ずかしいのかもしれません。他人とコミュニケーションを図ろうとするとき、どうしたらいらぬ誤解を生まずに親しみを伝えることができるか、そっと伝えていけたらいいなと思っています。
 ちなみに、その後Z君はX君にあまり乱暴な口を利かなくなりました。Z君もZ君なりに考えている様子が認められます。そんなZ君を見ていると、コミュニケーションの失敗からもかれらは何がしかを学んでいることが分かります。この教室はそういう機会を提供する場でもあることを認識しました。(TH)