理事推薦6月『こびとが打ち上げた小さなボール』

チョ・セヒ(趙世熙)著・斎藤真理子訳『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社 2016)

 韓国の事を知りたいと思う。ドラマ「砂時計」で、80年代、時の政権が軍を使って民主化運動を弾圧した光州事件を知る。書物で李王朝滅亡の歴史を知る。日本の初代総理大臣・朝鮮初代統監の伊藤博文を暗殺した安重根が東洋平和論で東洋人の連帯を思索していたことを知る。
『こびとが打ち上げた小さなボール』は70年代軍事独裁政権時代に、発禁を恐れて2年半に渡り、8つの雑誌、1つの新聞に12編の短・中編として掲載され、76年に出版された。以来、今日まで読み継がれている。40年を経て今年日本で翻訳出版された。
 日本の敗戦によって、36年間の植民地統治を解かれた後、日本に住んで無国籍になった人々の期間、南北朝鮮戦争による大量の避難民の増加。農村の疲弊によって故郷を捨てる人達があふれ、ソウルは、自力で家を建て住む無許可の建築住宅密集地となった。都市計画に多大な妨害をもたらすものとして徹底的に撤去され立ち退きを強いられた貧民は劣悪な工業地帯での生活を余儀なくされる。破壊と偽の希望と侮辱と暴圧の時代を背景に工場で働く青年は、キリスト教会内の集会で労働組合の運動を導いていく。各工場の組織づくりに奔走するが自らの理想に苦しみ追い詰められ搾取する支配者を殺害してしまう。
 公判で、青年の証人は、労使間の問題の要求、労働者の唯一の団体であり生命でもある組合を奪うものから守ろうとする行為は、きわめて正当なものだったと弁護する。が、かつて青年に「動かずにそこを守れ。そこで考え、行動し労働者として使用者と対峙する場にとどまるんだ。」と告げ、理想の追求が己も破壊する側面を予感していた。また富裕者で被害者の息子たちも公判の傍聴というかたちで労働者と対峙する。裁判所をとりまく汚い工員達の長蛇の列。人間の弱さを見せたら切り捨てられる。「愛によって、得られるものはひとつもない」と育った青年の深層心理に分け入り貧民の軽蔑と暴虐の刃が寒々とした深い孤独を抱えた自分に向けられていることを描き出す。愛する家族と仲間たちの為に殺人を犯し、刑死した青年が、天主教徒であった安重根を連想させる。近代は、どんな相手であっても殺害の行為を認めるわけにはいかない。また、報復の連鎖は何の希望も生まない。どんな状況であれ、理想を追求する姿、この普遍性が込められている、と思う。(AY)