「混血」と「日本人」

理事推薦本
下地ローレンス吉孝 著
『「混血」と「日本人」ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』
(青土社、2018年)

 この本の著者自身が複数の文化的背景を有する存在である。そしてこの「混血」や「ハーフ」の人々の存在は「日本人」対「外国人」という二分法では不可視されてしまい、支援や施策の対象から外れ、差別構造が再生産されるという帰結をもたらしたと指摘している。
 私がこの本に興味を持ったのは、「混血」や「ハーフ」の子どもと、日本で生まれ育ったか、幼少期に日本へ移住してきた子供と共通点があるのではないかと感じたからである。つまり外見は外国人だけど日本語は普通に話せる子どもへの支援や施策が不十分なところが重なって見えたからである。そして世間からのまなざしも類似したところがあり、それが彼らを奇異な存在として見たり、差別の対象としたりする点である。
 この著書は主に戦後直後から始まっており、時代を4期に分類している。
 第1期は1945~60年代で米軍占領を背景として米兵と日本人女性との間に生まれた子どもが増加した時代である。
 第2期は1970~80年代で高度経済成長期に日本企業のアジア諸国への進出を背景とした日本人男性と現地の女性との国際結婚や、日本の農村にアジアから招いたいわゆる「農村花嫁」や「国際見合い結婚」が増加した時期である。
 第3期は1990~2000年代前半で、日本国内の労働力不足や途上国との経済格差によって流入したニューカマーとの国際結婚によって生まれた子供が増加した時期である。
 第4期はニューカマーの子ども世代と成人世代が増加した時代であるとともに国際結婚の数も2006年に最大値を記録した。(その後漸少している)
 このようにそれぞれの時代的背景により生まれた「混血児」や「ハーフの子」は家族・学校・労働・ストリートの現場でどのような存在であり、どのような待遇を受けていたのかが興味深く書かれているが、ここでは特に学校を中心に紹介したいと思う。
 1952年に「混血児問題」が報道で取り上げられ、文部省は混血児といえども日本人であるから一般の他の児童と区別せず、特に人種的な差別感をなくし、あまり騒ぎたてずにそっとしておくのが最良の方法だとしている。つまり文部省は混血児たちの教育については具体的な方策をもっておらず、責任放棄ともとれる方針を取っていたということである。しかし1953年には文部省は「混血児の就学について指導上留意すべき点」というガイドラインを配布したり、1954年から1957年にかけて現場の教師の取り組みによって得られた情報から編集された「混血児指導要録」が各学校に配布された。これには混血児の生活指導やいじめや差別の実態が記されていた。このように混血児に対する情報が蓄積されつつあるにもかかわらず、1955年には再度指導面についてとりたてていうほどの問題はないと発表した。このような文部省の指導下で、それを鵜呑みにする教師もいれば、心を砕き混血児に寄り添う教師もいたという。このように当時の文部省は混血児に対しては一般児童と同様に扱い、放任し、混血児の同化と無問題化を言い放っていた。これは混血児の存在自体を無化していることに等しいと言えよう。
 このような厄介なことはないことにしようという考えや行動が現在の学校の中にもないだろうか。特に外国につながる子どもへの対応が気になる。
 この本には外国につながる子供たちに関する調査資料やインタビューが収録されているので、一読をお勧めしたい。(F.K)