理事推薦本
周 燕飛 著『貧困専業主婦』
(新潮選書 2019年)
専業主婦は、豊かなくらし振りであると深くも考えず思っていた考えを覆された1冊である。「深くも考えず」というのは、考える対象にもしてこなかったから、かって抱いていた思いを変更することがなかったということである。
1990年代前半までは、豊かで幸せな「専業主婦」モデルを支えていた「日本的経営」が盛んだった時代が続いていた。しかし、今は「専業主婦は裕福の象徴である」というイメージとは裏腹に「専業主婦は、貧しさの象徴である」とも読み取れる調査結果だったと筆者は述べている。私にとって衝撃的であった。
筆者は様々な統計データを読み解き、専業主婦の貧困化の実態をあぶり出すとともに、専業主婦になる理由、そこからもたらされる子どもへの影響、そこに潜む「罠」、脱するための第3の道について展開している。
とりわけ、子どもへの影響は、深刻な問題として「格差」で詳述している。
「食の格差」「健康格差」「ケアの格差」「教育格差」である。
どの格差も深刻なのだが、学校外教育費支出で広がる「教育格差」は、さらに「貧困専業主婦世帯」に重くのしかかっている。「塾に行かなくても学力を公立学校でつけられるようにしてほしい。」という聞き取り調査での声に私たちが答えていくためには、何を変えて何を作り出していけばいいのだろうか。考えさせられた。
一方、 貧困でも3人に一人は、とても「幸せ」とこたえているのは、日本的特徴だそうだ。これについて、「世帯軸」での「幸福感」と、前提に「子育て」と「夫婦関係」が比較的良好な状態があるのではないかと指摘している。では、その前提が崩れたら、、、どうなるのか?
専業主婦になる理由は、「自己都合型」と「不本意型」で、「不本意型」がやや高いそうだ。
「自己都合型」の具体例は、①子育てに専念したい、②時間についての条件の合う仕事がない、③子どもの保育の手立てがない。「不本意型」の具体例は、①健康上の理由で働くことができない、②家庭内の問題を抱えている。また、「自己都合型」とも「不本意型」とも解釈できる理由は、①自分の年齢にあう仕事がない、②仕事の探し方がわからない、③収入について条件のあう仕事がない、④知識、経験を生かせる仕事がないという仕事のマッチングに関連する理由がほとんどだそうだ。
「専業主婦モデル」から脱却するのはなぜ難しいのかについて筆者は第8章「罠」という概念で説明している。①税制の罠、②社会保障制度の罠、③配偶者手当の罠、④欠乏の罠である。それらの中で最も興味深かったのは、「欠乏の罠」である。時間の「欠乏」は、お金である程度解消できるが、お金の「欠乏」は、時間の欠乏に繋がり、お金と時間の「欠乏」は、人との付き合いを制約して社会関係の「欠乏」を呼ぶ。そして、社会関係の「欠乏」は、情報の「欠乏」となり、さらにお金の「欠乏」を招くという連鎖の指摘は、衝撃的であった。「お金がある程度あれば、やりたいことができる。」としか考えていなかったからである。言われてみれば、本当に納得できる話である。
さらに驚くべき指摘は、これらの「欠乏」は、新しいことに関わる余力、いわゆる脳の「帯域幅」が不足しがちになり、人々は、情報を収集する能力、計画や立案する力、とくに、長いスパンを見据えてのプランニング能力が弱くなるというのだ。唸ってしまう。「貧困」がもたらす負の遺産は、こんなにも深刻なんだと改めて思った。
女性が、子どもとともに生涯を豊かに生きていくためには、社会の仕組みを点検し、個人としても長いスパンで展望していく必要があることを提起してくれる1冊である。
2月19日の教育講演会が楽しみである。(NJ)