Ed.ベンチャーの今年度後半のテーマは「平和を考える」です。そのため、今月から理事の推薦本でも「平和」をテーマにした書籍を紹介していきます。
理事推薦本
西谷 修著
戦争とは何だろうか
(ちくまプリマー新書 2016年)
この本は、著者が終わりにに書いているように「戦争が善いとか悪いとかの立場から書かれたものではなく世界のあり方を変えていく大きな要因であったことを踏まえて戦争について考えてみる、とりわけ私たちの考え方を規定している近代以降の戦争のあり方」を検討している本である。したがって、今までの歴史の中で起きた個々の様々な戦争を俯瞰して整理した書と言える。私自身、歴史上の個々ばらばらにしか見えていなかった戦争を新たな観点から見直すことができたと感じている。
初版は2016年であり、著者がはじめにに書いているように、「戦争は、絶えないし、新たな形で広がろうとしている、どうしても避けられない問題になっている」状況下で「日本のわれわれは、どういうふうに事態を捉え、日本は今後どういう国になったら良いかという問いを念頭に置きながら戦争について考えてみたい」という切なる願いを 感じ取れる書である。
現在の政府が、「戦争ができる国(たとえそれが自国を守るという大義名分をかざしていようが)」に突き進もうとしている今日だからこそ、「戦争とは何か」「軍事力によって平和は作り出せるのか」真剣に考えたいと思わせてくれた示唆に富んだ本である。
本の構成は、以下の通り。
はじめに
第1章 戦争って何?
第2章 国家間秩序
第3章 国民と国民の戦争
第4章 世界大戦への道
第5章 世界戦争とその顛末
第6章 冷戦後の世界から9,11に至るまで
おわりに
ここでは、第6章とおわりにを中心に私が最も衝撃的だった著述を紹介したい。
1つ目は、「国家間戦争」の概念ではない、「テロとの戦争」という無法な殺戮が正当化されたことに関わる著述である。
2001年9月11日、アメリカ史上最大級と言って良い衝撃的な出来事が起きた。この時からアメリカのメディアは、こぞって、「アメリカの新しい戦争」とか、「21世紀の戦争」を語るようになった。98年にもケニアやタンザニアのアメリカ大使館が爆破されたし、それ以前の95年には、オクラホマシティの連邦政府ビル爆破事件も、イスラム過激派と関係づけられるほど脅威の意識は、浸透していた。しかし、それらは「事件」として処理された。だが、類例のない惨禍を引き起こしたこの事件は、大きく、そのショックは、「アメリカが襲われた」ことに対する恐怖と報復感情に転じ、「見えない敵」に対してアメリカ国家は、「戦争」で、すなわち軍事行動で対応することを決め「テロとの戦争」だとしたのだ。
9.11は、二重の意味で日本に結び付けられた。ひとつは、「アメリカが不意打ちにあった」ということで、「パールハーバー」が想起され、もう一つは自爆攻撃だということでアメリカ人たちに「カミカゼ」の悪夢を蘇らせた。
この事件に際してアメリカ政府は、「これは戦争だ」とわざわざ言って、アメリカは国家として「テロリストたち」と対峙するということを表明した。
戦争は国家間の武力衝突だったが、この場合は、「敵」が、非国家的集団だから、戦争はもはや国際法的行為ではなくなる。そしてアメリカは「我々の側につくか、テロリストにつくか、二つに一つだ」と選択を迫った。それを世界の主要国が受け入れ、アメリカのアフガニスタン攻撃に協力したときから「テロとの戦争」というレジームが世界に敷かれることになった。
今までの戦争概念では、これは粗暴な主権侵害。それでもアメリカは、アフガニステンのタリバン政権を「テロリストを保護する敵」とみなして攻撃した。その時から「テロリスト」の撲滅を口実に他国を攻撃することが正当化されるようになった。
ウエストファリア体制以来の国家間戦争には、基本的なルールがあった。不意打ちはしない、適当なところで手を打って講和する、捕虜虐待をしない、非戦闘員を攻撃したり殺戮しないといった戦時の国際法があった。だからこそ、戦争と平和には明確な区切りがあった。けれども「テロリスト」というのは、国家でないだけでなく、初めから犯罪者だと規定されともかく殲滅しなくてはならない対象だとされる。そういう「敵」を問答無用で叩き潰すために、空爆、誘拐、ごうもん、即決処刑その他のあらゆる手段が国家の「正義」の執行として正当化されるようになった。そして、この戦争は、もはや戦争の目的が純然たる人殺しであることを隠さなくなっている。
2つ目は、「戦争手段の進化」に関わる著述である。
核兵器は、大量破壊兵器そのものとして不動の地位を占めていますが、それを使えないということで生物化学兵器が開発され、それが生命科学やIT技術と結びついて今やコントロールが効かない恐るべき進化を示している。たとえば、アメリカ本土の陸軍基地の一角のゲームセンターのようなところで「兵士」がパソコンを扱う事務員のように、朝、出勤して昼まで、そして午後は夕方まで、何万キロも離れたアフガニスタンやイラクを飛ぶドローンを操作してミサイルを発射している。戦争をする国の側では、戦争はバーチャル化し、戦場は無人化し、一見危険のないゲームのようになるが「無人化」した戦場では、相変わらず生身の人間が殺戮されている。現代の戦争とはそのようなものである。
この本を読んで痛感したことは、「表現される言葉」にもっと敏感に、更に言うならば「懐疑的」な眼差しを持たなければいけないということです。
「テロリスト」と表現しただけで、「疑いなく殺戮されるべき存在」として位置づいてしまう怖さは、象徴的です。新聞やテレビなどで登場する言葉を鵜呑みにしない覚悟が必要だと改めて思いました。
さらに、「武力」では、決して「平和な世界」は作れないと確信しました。(N.J)