それでも、日本人は「戦争」を選んだ

理事推薦本

加藤陽子 著

それでも、日本人は「戦争」を選んだ 

(新潮文庫 2016年)

 

 

 この本のタイトルを見た時に、最初は選んだという言葉になにか違和感を感じることがあった。
なぜ、筆者は”選ぶ”という言葉を選んだのかが、本書を読み解いていくと明らかになってくる。
本書は県内にある栄光学園にて5日間の集中講義を実施し、著書と日本の近現代史を専攻とする高校生との記録が随所に書かれている。ハイレベルの対話が繰り広げられているということもあり、かなり読み応えのある1冊となっている。
本書を読んでいる中で、私が印象に残ったのが序章に書かれている、1930年代の日本と2001年に起きたアメリカ同時多発テロには共通点があるという筆者の主張である。
両者は、年代もかけ離れており一見、なんの共通点もないように思える。しかし、2001年に起きたアメリカ同時多発テロについて筆者は次のように述べている。攻撃を受けたアメリカにとって、「国内にいる無法者がなんの罪もない善意の市民を皆殺しにした事件であるということは、国家権力によって鎮圧されなければならない」という考え方に至っていたとしている。
また1930年代に起きた日中戦争は、中国が日本と交わした約束を守らなかったために、戦闘行為を行なっているという日本軍の認識があった。そして、筆者は当時の国際慣例で認められていた報償の意味を履き違えているということ、日本軍は報償の意味を拡大解釈しすぎていたと指摘している。
この考え方をもとにした時、改めて今日の世界情勢に目を向けてみたい。
現在、世界の各地で紛争が起こっているが、報償という考え方を”選び”戦争で解決しようとする手段を選んでいないだろうか。
そして、なんの罪もない市民や子どもたちを皆殺しにしていないだろうか。
連日流れる、現地からの悲痛な声に胸を痛めている。そして、教育に携わる者として、なんの罪もない子どもたちの尊い命が奪われていくことに悲しみを感じる。
私たちができることは一体なんだろうか。教育に携わる者として、子どもに携わる者として改めて平和を希求することの大切さとは何か。
そして、残酷さがゆえに目を背けずにこの事実に向き合うこと、子どもたちに伝えていくことは私たちにはできるだろうか。
そんなことを考えながら、本書を読んでもらいたい。(N.M)

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