9-10月 特別授業に向けて
エステレージャ・ハッピー教室の報告が滞っておりました。申し訳ありません。
緊急事態宣言の解除、そして再宣言と、コロナをめぐる状況は相変わらずではありますが、その間、エステレージャ・ハッピー教室は活動を続けておりました。
今回は昨年の9月以降に取り組みの始まった特別授業についてご報告しようと思いますが、まずはその取り組みをやってみようと考えるようになったきっかけからご紹介します。
子どもたちの勉強を支援を続けていくと、次第に打ち解けて、やがてかれらが困っていることを打ち明けてくれることがあります。その中で少なくないのが「作文」に関する悩みです。「作文」なんて、簡単じゃん。と、思うのは日本人だからです。いや、日本人でも「作文?・・・ちょっと待てよ・・・」と考え込む人も、もしかしたら少なくないかもしれません。「作文」というのは簡単に見えて、実は結構難しい作業なのです。何について書こうか、分量はどうか、どういう筋道を立てればよいか、表現はどうすればいいか、漢字は間違っていないか、そのような「正解」のない一連の作業を一人で考えて一つの作文を完成させるのは、結構な「力」が必要です。ましてや、外国にルーツを持つ子どもにとって、超えなければならないハードルの高さは、日本人が考えているよりもはるかに高いと考えられます。
ある日、小学校3年生のSさんが「作文を教えてほしい。(学校の)先生に『これ(Sさんが書いた作文)は小学校1年生の文だから』って怒られて『やり直ししてきて』って言われた。でも、どこを直せばいいのかわからない。」と言ってきました。Sさんは、幼少の頃からずっと日本に住んでおり、日常生活における日本語での会話は問題なくできています。スタッフとの会話も恐らく学校での友達や先生との会話も日本語で問題なく通じています。しかし、いざ、自分の思っていることを具体的に文字として書いたり、文章として伝えることは難しいようで、文章を見てみると確かに、小学校1年生の文章と捉えられてしまうかもしれません。だからと言って、まったく日本語の文章が書けないわけではありません。そこで、作文としてどんなことを書きたいのか、一緒に考えて文章を組み立てなおしてみました。するとそれだけで、同じことを言おうとしていても全く異なる文章になりました。
このような困難は作文に限らず、体育の授業で作成する振り返りの記録でも困難を抱えているようです。授業の振り返り記録であってもSさんにとっては高い壁なのです。Sさんはいつも「1年生の文」にならないようにしないといけない、だけど、求められているような文章や記録が書けないと、悩んでいるようなのです。やはりこのことについても、作文の時と同じように丁寧に聞き取りをすることで、彼女の文章に具体性が生まれました。
このような困難が生まれる要因は、日常生活における日本語ができるが故に、学校では外国人の子ども特有の困難が見落とされてしまっているところにあると思います。さらには、「楽しかった」「つまらなかった」というある感想などについて、なぜそのように思ったのか、感じたのかということを具体的に問われる機会に乏しいためではないかと思います。それだけに、週1回ではあるものの、このエステレージャ教室でだけでも、かれらの話を聞き、かれらの抱える困難を認め、学校で困っていること、うまくいかないことを吐き出したりする場にしていくとともに、「楽しかった。」などの一言で感想などが終わらないように、どうして?、なんで?など問うことをしていきたいと思うのです。そうすることで、作文を書くときも自分で、こう思ったのはなぜかや順序立てて話すことが身についていくのではと思います。
さらには、子どもたちが「楽しい」「おもしろい」「なぜ?どうして?」「びっくりした」といった経験を、しかも個別ではなく、集団として友だちと一緒に経験する場を作りたいと考えました。自分の感じたこと、経験したことを文字として書き表そうとしても、経験そのものが少なければ、表現のしようがないからです。特に昨今のコロナ禍においては、子どもたちの生活はますます個別化されていってしまいます。そこを何とか食い止めたい、という思いもありました。私たちは「特別授業」ということで、何回かに1回の割合で教室の後半の時間を使って、実験・体験的な学びを企画することにしました。(NS)