【報告】6/13事例研究会

外国人の子ども理解のための学習会(事例研究会)報告

日時:2020年6月13日(土)13:00~15:00(Zoomによる)
参加人数:19名
事例提供者:宇佐美北穂先生(大和市立澁谷小学校)

 事例研究会は、外国にルーツを持つ子どもたちの具体的な事例を通して、彼らの背景にある事情や問題を読み解く力をつけていこうという狙いで開催しています。
 今回は澁谷小学校の宇佐美さんから事例発表をしていただき、その後、質疑応答と意見交換を行いました。
 宇佐美さんからは、「学校適応がうまくいっていないのは日本語の問題なのか、あるいは特別な支援が必要なのか」という児童に対して、特別支援の指導方法を参考に指導のやり方を改善するなど国際教室での当該児童への取り組みと、保護者への働きかけが事例として報告されました。
 
 意見交換では、
・在籍級では、担任の当該児童への手厚い支援と周りの子どもへの働きかけが重要で、
 クラス作りには担任の姿勢が大きく影響する。
・家庭の言語環境やきょうだい関係、保護者の家族関係等から子どもの背景を読み取っていくことが重要。
・子どもの行動の裏に、どのような思いがあるのかを聞き取る時間を持つことが必要。
といった子どもの背景の読み取りが話題になりました。
 また、
・家族の支援を前提とした日本の学校教育が、外国にルーツを持つ子どもたちの家庭には当てはまらない
 ことがあり、日本と外国の家族観(家族の関係性)の違いを理解しておくことも必要である。
・学校教育は子どもの能力に偏りがちであるが、人間形成に関わるものであり、インクルーシブであることが
 求められている。子どもにどういった教育環境を提供し、一人ひとりの子どもにどういった力をつけていく
 のかを考え、大人が変わることが必要である。
といった、学校教育について話題が広がりました。
 
 今回の研究会には、小中学校の先生だけではなく、大和市や他市の日本語指導員の方、当該校で学習支援をしている大学生・大学院生と先生、地域で外国人の学習支援をしているボランティアの方、日本で教育を受けた外国人当事者のかたと様々な立場の方々の参加があり、参加者の幅の広がりを感じました。

【参加者の感想】
◆Aさん
 C君の話を聞けば聞くほど、いろいろな課題があることがわかりました。同時に、C君自身がいろいろなことに困っているだろうなと思いました。学校がC君にとって必要だと思っていることが、必ずしもそうではない
かもしれないということを改めて考えさせられた学習会でした。
 C君が困っていることが周りの子どもたちにもわかるようになり、大人だけでなく周りの子どもたちからのサポートやかかわりが、これからもっと増えていくといいのかなと思いました。
 外国につながる子どもたちにとって、今回の事例のように国際教室担当の先生方が、学校の教員をコーディネートすることがとても重要だと思いました。

◆Bさん
 二重のハンデを抱えているであろう児童に悩みながらも、指導法を変えてみたり、指導時間をより増やしてあげたり、教育相談の機会を複数設けるなど…様々な支援をされてきたことに国際学級担任として見習いたい姿だなと感じました。特別支援級への通級に関しては、清水先生のご意見をはじめ他の方々の思いを聞きながらどちらがよいとはっきり決めることができませんでしたが、「特別支援級への通級」を支援のうちのひとつとして捉え、子どもたちに寄り添いながら、子どもたちのためになる支援を考え続けていくことが大切なのかなと思いました。清水先生のお話の中で、日本・外国の教育の文化や環境について触れられていたお話も大変興味深かったです。外国につながる子どもたちのことに限らず、多様な子どもたちがいる中で、大人側も変わっていく必要性を改めて感じさせられました。

◆Dさん
 C君にとって、宇佐美先生と出会えて、適切な指導方法によって学ぶことができたのが本当に良かったことだと思いました。本来であれば、1年生の段階でもっといろいろと気づけたことがあったのかもしれないと思うと、教師の責任の重さを痛感します。国際級の担当として、大きく担任との違いを感じるのは、多くの時間を使って、その児童に寄り添って考えられるということです。担任の時にいかに考えられていなかったかと反省
をするところでもありますが、より早い段階で、その子へ向けた適切な支援や指導をていねいに行っていきたいと思いました。余談ではありますが、そうすることによって、自分自身も納得する支援ができると感じます。

◆Eさん
 C君にとってはたった一度の人生で、彼が満足のいく人生を歩んでいけるのかという大きな視点を持って考えなければいけないということを改めて考えるいい機会をいただきました。また、C君に限ったことではありませんが、気になる子どもがいた時に、やはり本人の声や気持ちをきちんと聞かなければいけないですね。大人の憶測や思いだけで決められないことがたくさんあることを、大人自身が自覚しなければいけないと、考えさせられた2時間でした。
 特別支援学級に入れる/入れないということとは切り離したところで、どんな学習がCくんには合っているのかを考えることが肝要かと思います。そのためには、日本社会の改革、学校改革、大人の意識改革とともに、今、できることとして、臨床心理等々の専門的見地からのアドバイスが必要なケースでもあると思いました。

◆Fさん
 色々な立場の方々のご意見を対面で聞くことができたのは、とても良かったです。なかなか短い時間で問題に対しての答えはでるものではありませんが、それを色々な方とシェアーすることは意味があったと感じました。
 私個人は、正直「特別支援級」についての知識がないので極々一般人としてのイメージしかありません。やはり「知的問題がある子ども対象」のようなマイナスのイメージです。
 ゆっくり時間をかけたら理解できる児童にそのような環境を提供するクラスならば、それはとても良いクラスだと言えます。清水先生もおっしゃっていましたが、「子ども一人一人に寄り添い合わせたクラス」とでもネーミングを変えたら親も子供もまた社会的にもすんなりと受け入れられるかも・・。

◆Gさん
 私は本日の研究会で話題になっていた児童の支援を行なったことがあるのですが、その際に感じたことは母学級での孤立感が強いことに対する心配でした。今回の研究会で今の様子を伺った際に、コミュニケーションをとるときに目線が合わない、国際教室と母学級での差がまだ見られるということで、私が支援を行なっていた頃から約半年ほど経ちますが大きな変化はないのかと思い、少し不安を感じたことは事実です。ただ、私が支援を行なっていた際もそうですが、こちらが児童の話を理解しようとする姿勢や、味方であることを児童自身が感じとってくれた時点から、児童の方から自分が知っていることや家族から聞いた話を紹介してくれたりと、かなり積極的な面がみられたため、特別支援として母学級の級友から切り離すのではなく、そういった一面が出せる機会を母学級でも持てればよいのだと思いました。

◆Hさん
 今回の事例は、インクルーシブ教育を考えることにつながり、勉強になりました。
 C君が生き生きと活動できる場がある一方で、場面が変わるとシャットダウンした顔になってしまう。そうした時にC君を周りに合わせるようにするのではなく、 C君がどの場面でも生き生きと活動できるよう、周りの
子どもたちや教員の支援体制を変えていくと考えることがインクルーシブの考え方なんだなと思いました。また、今回は当該校でC君に直接関わった方たちから様々なご意見を伺うことができ、C君のイメージがよく分かりました。ひとりの子どもの分析をする時、色々な角度から見て意見を出し合うことの重要性を改めて感じました。

◆Iさん
 まだまだ勉強不足のため、きちんとした感想を書けませんが、いろんな方の考え方や意見に、「確かに!」や、「そんな風にも考えられるんだな!」という、気持ちでずっと聞いていました。自分の意見、というものを持たれて、それはこうだと思う!と言えることに、すごいなとも思いました。私は、こっちも納得、そっちも納得、あっちも…という状態でした。これからもたくさんのお話を聞かせていただき、勉強させていただきたいと思っております。よろしくお願いします。今日はありがとうございました。

◆Jさん
 一人の児童をみていても、みる人によって捉え方は違うと思ったし、子どもも人や環境によって全く違う行動や表情になるということを強く感じた。子供と関わる上でどこまでその子の中に入っていけるかというのが必要だと思った。また、今回は国際教室と支援級の話がよく出たが、やはり考えなければいけないのは、通常の学級であって、通常の学級担任こそ、もっと勉強しなければいけないと思った。そして、国際教室と支援級だけのやり取りだけではなく通常の学級の担任も交えて考えていく必要があるのではと思った。

◆Kさん
 大和の地域性などがよく分かりました。また、様々な立場の方が参加され、様々な視点からのご意見をいただきながら、一人の子どもの全体像を映し出そうとされていることがよくわかりました。
 ・宇佐美先生が、特別支援の手法を生かすことで、言葉が記憶できるようになってきたこと
 ・学校内で、様々な立場の方がCくんに関わり、情報共有はされていること
 など、一人で抱え込むことなく、連携されている様子が伺えました。宇佐美先生が特別支援の方法を学ばれるなどという努力もあってのことだと思いますが。皆さんのお話を伺っていて、連携の必要性をあらためて認識しました。事例研究することで、認識の共有も進むこともわかりました。また、私たちは、つい自分たちが育ってきた土壌(見方や価値観など)で物事を見てしまってるという清水先生のご指摘にも「ハッ」としました。日本で、教育を受け続けるためには、受験があって・・・と無意識に考えてしまう自分、日本のシステムの中に、どう組み込むかに目が向きがちになってしまう自分を常に意識しておかないといけないと猛省しました。