10月3日と4日はいちょう団地の恒例の団地祭りであった。横浜市側のいちょう団地の建物の真ん中にある中央道路にて、毎年のように団地の人々が屋台を出し、にぎやかに振る舞っていた。今年も快晴の中で、すたんどばいみーは団地祭りに屋台を出し、フランクフルトや飲み物を販売した。独特な外国人の仲により、フランクフルト550本、飲み物は242本を完売した。
今までは自治会や日本人の屋台がほとんどだったが、近年では外国人の屋台も増えてきて、今年では、約半分にも及んだ。すたんどばいみーも年々増加している外国人の屋台をみて、一昨年よりいちょう団地祭りで屋台を出すことにした。そして、過去2回で団地祭りに出店することで、以前ばいみーに来ていた子どもやすでに大人になった人たちに会い、すたんどばいみーがまだ活動していることを伝えていた。
今回の団地祭りでは、ばいみーの活動が継続されていることを伝える以外にも、2つの目的があった。①今回の出店にあたって、教室に来なくなった子どもを再度呼び戻すためであった。親の都合で教室に来れなくなってしまった子どもや勉強が嫌いで教室に来なくなった子どもたちがいる。そのため、親と会って直接話をしたり、勉強が嫌いな子どもにはあえて教室以外のところで関わりを持つことで、入りやすい空間を作ったりして、呼び戻す試みをした。②そして、すたんどばいみーが創立してはや14年になり、昔から関わっていた子どもたちやスタッフの同世代の人たちも成長し大人になった。今、大人になった彼らはどんな生活をしているか、大きくなった彼らは、今ぶつかっていることは何か、そしてすたんどばいみーは何ができるかと考えた。そのため、今回の団地祭りでは、久々に会う彼らに近況の聴取から始まることにした。
当日になると、事前に呼びかけをした子ども以外にも、たまたま屋台を通りかかっていた子どもたちは久しく教室に来ていなくても、テントの中にいる友達を見て、「手伝う!」と話したりして、テントの中は子どもの数でいっぱいになっていた。そして、スタッフは屋台の前を通る人の中で、知っている顔が通りすぎると、すかさずテントから出て、声をかけたりした。「最近どう?」から始まり、教室に来るようにと、小学生や中学生には教室の時間を伝えたりもした。
そして、同世代で知っている外国人が通ると、最近の様子を聞いたりした。もう20~30歳代になった彼らのほとんどはすでに家庭を持ち、団地から移り住んだ人が多かった。そして、ごく一部の人は「外国人」であることがハンデとなってしまうという未だ差別が残るこの日本社会では、不平等な対応を取られてしまうことによって、引きこもってしまった人もいる。今までみんな同じ団地に住んでいるからこそ、困ったことがあればすぐに駆けつけられていたのに、今や、生活の中心が自分の仕事や家庭でしかなく、さらに団地から出て、昔よく一緒にいた仲間たちとバラバラになってしまい、会う機会も激減してしまった。バラバラになってしまった彼らをどういう風につなぎとめるか、またすたんどばいみーが果たせる役割はなにか、それを探し当てるのが今後の課題になりそうだ。
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団地祭りの屋台の配置は、たくさん人が集まるステージ付近は自治会や日本人の屋台、そしてステージから遠い最後尾の方に外国人屋台が集結させられています。祭りは、多くの外国人が集まったからこそ盛り上がったにも関わらず、日本人が前、外国人は後ろと配置をする日本人たちがいます。多くの外国人が住むいちょう団地にみられる差別であると思うが、みなさんはどう考えますか。