3月 震災支援 陸前高田市

「新たな生活と変わらないツナガリ」

 

実施日時:2015年24日~25日

実施場所:陸前高田市モビリア仮設集会場

ばいみースタッフ参加者:チュープサラーン、劉麗鳳、宮脇英理、伊藤瑞姫、フィンティ、清水真飛

子ども参加:14名

 

すたんどばいみーの震災支援も2011年4月18日から始まってから4年という月日が経過した。今回ばいみースタッフ6名中2名が初めて陸前高田を訪れることとなった。一人は今年の4月から高校3年生のベトナム人ともう一人は今年の4月から大学生となる日本人青年である。彼らの目に4年経った被災地はどう映ったのだろうか。いずれにしても彼らや私たちが初めて4年前に訪れた陸前高田は「過去の情景を知らないから今の情景が自分にとっての陸前高田」と言った感覚は同じで、その事について言えば4年前からそこの地に来ている者と4年経ってその地を訪れた者たちに共通するのかもしれない。

今回参加するばいみースタッフが多いということもあり、皆が久しぶりに集まる活動として、アロマキャンドルと牛乳パックを使ったランプシェイドの工作を考えた。工作に込めた思いは「一つの灯りを寄せ集めたら大きな灯りとなり、それがやがて町を照らす灯りとなる」であった。1日目は子どもたちが野球や塾や家族とお出かけするなどで開店休業状態の活動であったが、2日目は子どもたちが新しく住んでいる場所を突き止め、待ち合わせの時間に家まで迎えに行った結果、14名の小中高学生の子どもたちがばいみーの活動に参加することとなった。閑散とした1日目と比べると多くの笑声が仮設住宅の中にあるアスレチックに響き渡りとても楽しい時間を過ごす事ができた活動となった。そして、Bを家まで送っていく途中に彼から「久々に楽しかった、ありがとう」と言われ、改めて自分たちの存在の大切さを感じ活動となった。

本報告では、2日間の活動内容と活動に参加したスタッフの感想文が以下にまとめられてあるものである。

 

【活動内容の記録】

(3月24日)

子どもの参加人数:5名

13:30 活動開始

自己紹介・近況報告

15:00-17:00 アロマキャンドル作り、解散。

(3月25日)

子どもの参加人数:14名

9:00 活動開始(春休みの宿題)

11:30 昼食休憩

13:00-16:00 午後の活動開始(工作作り)、外遊び(ドッチボール、高鬼ごっこ)

16:30-17:00 「まつ」事務所訪問

【参加者の感想】

約7ヶ月振りの陸前高田の訪問。今回は神奈川から6名のばいみースタッフと13名の子どもを対象にした活動を計画して現地に向かった。実際14名の子どもたちが活動に参加した。活動は春休みの宿題の手伝いとキャンドルの工作である。勉強をして小イベントをする。これがばいみー定番の活動である。工作は、「一つの灯りを寄せ集め大きな明かりを灯す」だった。他にこの訪問の目的として仮設を出た子どもたちの居場所を突き止めることだった。子どもたちの新しい新居は、モビリア仮設から20分前後のところにあった。目印となる場所を決め、そこで待ち合わせし車でピックアップした。

現地は公営住宅よりもコンビニの再建が目立ったように思えた。町中は大きなトラックやダンプが走っているものの、活発に再建が行われている様子ではなかった。土地の底上げが平成30年に完成予定であり、その後さまざまな施設や建物が建設されると「まつ」の事務局長である佐々木さんが話してくれた。また、公営住宅に移った老人の孤独死や新たな住居を仮設で一緒だった人などにあまりいいたがらに若い世代の親御さんなどという新しい課題が出つつあった。

ばいみーの震災支援の活動に参加してくれた仮設で生活していた子どもたちはとうとう、9世帯中7世帯が仮設を出たこととなった。Sきょうだいの姉が就職し、仮設の子どもたちがいなくなった時、ばいみーの震災支援も終わりとなることが今の見通しである。

(チュープサラーン)

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2年半ぶりの陸前高田とモビリアキャンプ場を訪れた。町の中のガレキはほとんど片付けられていたが、復興にむけてのかさ上げ作業の工事が急がれている一方で、震災の跡が残っているビルと町の駅は、震災当時の町の様子を思い出させるものであった。

今回、ばいみーは活動の当初から参加していた子どもたちを集める計画をしていったが、仮設から多くの家庭が出たことで、1日目の活動は子どもたちがあまり集まらなかった。しかし、高校生と久しぶりの再会で、それぞれの成長した姿を見て驚いた。2日目の活動は多くの子どもを参加してくれた。春休みの宿題に取り組んでいる中で、小学校2年生になっていた女の子が、みんなと一緒に遊びたい雰囲気を醸し出していた。彼女は昨年末に仮設を出て新しいおうちに引っ越していた。新しいおうちはどうかと聞くと、彼女は寂しそうに「ん~、みんなと遊べないから寂しい」と言い、友達の家に行くときに親の送り迎えがないといけないと話していた。そんな彼女が休憩時間にとても楽しそうに遊んでいた。

仮設から出て、それぞれの子どもは新しい生活を始めているが、一方ではバラバラになっていく寂しさを感じている様子があった。そのためか、2日目の活動には多くの子どもが参加し、長時間楽しそうに遊んでいた。閑散としていた仮設を見て、「仮設から出ていくことは寂しいけど、いいこと」「仮設から出るとあまり連絡を取りたがらない、特に若い親の家庭」という言葉は震災復興の1つの様相であるとともに、何ができるのかと今後の活動の在り方を考えさせられる言葉であった。(劉麗鳳)

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「被災地の今」

私の中の陸前高田市は、2011年4月の光景が始まりである。4年の月日が流れ、復興に向かっているとの見方があるのかもしれないが、街は静かである。モビリアキャンプ場に向かっていく道には、イオンが大きくそびえ立っており、コンビニが増えていた。地元のスーパー「マイヤ」は、閉店するかもしれないとの噂があり、大手の企業で浸食されているのが現状である。

公営住宅については、高田八起プロジェクトの蒲生さんと、まつの事務局長の佐々木先生の会話で話しを伺えた。公営住宅は、陸前高田で一件しかたっておらず、集会場の備品については、住民のみんなが資金をだしあって購入しなければならないようであった。被災している現状は同じであるのに、復興には格差があるように見受けられる。

モビリアキャンプ場にいた子ども達の状況は、昨年の8月の支援の段階で、10世帯の仮設の子どものうち2世帯が自宅再建によって仮設を出ていた。そして、現在では4世帯の子ども達が仮設生活をしており、半分の子ども達が、自宅に戻ったり公営住宅に入居したりと新たな生活をスタートさせていた。子どもたちと活動を行うなかで、子ども達はゲームに夢中になり、言葉をかければ、「みんな仮設から出て行ってから僕たち集まれないんですよ」と声をもらす。地域での子どもたちの繋がりが絶っていくなかで、私たちは、あの日、あの時間を共に過ごしてきた子ども達の繋がりを絶たないようにしていく支援のあり方を考えなければならない。(宮脇英理)

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約二年ぶりに東北は、二年前の光景に比べて、さほど大きな変化がないように見えた。瓦礫除去後の東北の復興作業のスピードが一気に遅くなっているように感じた。しかし、仮設付近に入ると新しいアパートや住宅地が見え、大震災直後からばいみーと関わってきた子どもたちもほとんど自宅に移り住んだ。今までは仮設を回ればほとんどの子どもが集まり、すぐに何かができるという活動であったが、今や、子どもたちの会うまでも、車で移動しないといけない場合が多くなった。

今までみんな近くに住んでいた子どもたちは、仮設を出ることによってバラバラになり、子どもたち自身に取り巻く環境もまたどんどん変化しているし、子どもたちの間のコミュニケーションも変わっているように見えた。今まで、外でみんなで走り回っていたり、遊んだり、大人数で遊ぶことが多かった。今回もスタッフが声をかければみんなで遊んだり、工作したりすることができたが、暇さえあれば、ゲーム機を持って遊ぶ子どもも多くなってきている。その中で、ばいみーの活動もまた違う支援でなければいけないと思う。子どものそばにいるだけではなく、バラバラになった子どもたちが再度集まる場として、ばいみーの立ち位置を変えないといけないと思う。(伊藤瑞姫)

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「震災支援に行ってみて」

3.11から4年言う時間がたった。被災地の復興作業はあまり進んでいないように見える。

最近のニュースを見ていると大震災関係のニュースが少なくなってきていると思う。

「被災地に募金をお願いします」と言う人も見なくなった。4年の時間がたったからみんな忘れてしまったのかもしれない。時間というのはとても怖いように思える。今、被災地では津波の被害にあった土地は塩を吸ってしまって、使えなくなってしまったので、かさ上げをしている最中だ。すべての土地のかさ上げが終わるのは平成30年の予定。そこから家を建てる、スーパーのどのお店を建てるなどして、人が完全に住めるようになるのはいったい何年後なのか。被災地で、ばいみーの事を知っているとある支援団体の話をきいた。支援物資だけが増えている。5月に行われている大和祭りにばいみーはお店を出店させてもらっていて、そこで支援物資を売ってお金にしてはどうか。という話が出ている。つまり、物だけが送られてきているだけで、人が被災地に行くことはあまりないのではないか。多くの人が募金だけで終わってはいないか。もし、そうだとしたら1日だけでも何かしらのかたちでいいと思うから、被災地に行って何かをしてほしい。そこらへんに漁で使う網や浮などが落ちているから、それを拾うのもいいと思う。小さなことをやっていったらいいと思う。(フィンティ)

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「震災支援を振り返って」

東日本大震災から4年以上が過ぎて初めて陸前高田に震災支援に行った.震災から4年以上が経った今,復興はかなり進んでいたが,陸前高田の海沿いはまだかさ上げしている途中だった.その海沿いは,土などを運ぶための大きなベルトコンベアーまで備わっていて,その光景はまさに,開発途中の工業団地のようであった.自分はその光景に目を奪われ,驚愕した.そこに町があったとは想像出来ない光景だった.そこには,津波の被害を被ったマンションや,中学校,奇跡の一本松が残されていた.それらに表されていた津波の爪跡から見える津波の規模は自分の想像をはるかに超えていて,何を口にすればよいか分からなかった.

また,震災支援は,仮設に暮らす子供たちがだんだん仮設を出て行っているという現状がある中で子供たちを集めるのは大変だった.集まった子供たちの行動を見ていると今までの活動の経緯を詳しく知らない自分にもすたんどばいみーの活動が子供たちに与えた影響の大きさを物語っていた.子供たちの笑顔,「すたんどばいみー帰っちゃうよ.」と言うといままで楽しんでやっていたゲームすぐにやめ,すたんどばいみーの活動に参加するといった行動にすたんどばいみーの活動の重大さを感じた.そして,自分は,このような活動に参加できるうれしさとともに,自分に何が出来るのかと不安が見えた震災支援だった.(清水 眞飛)

実施場所:陸前高田市モビリア仮設集会場

ばいみースタッフ参加者:チュープサラーン、劉麗鳳、宮脇英理、伊藤瑞姫、フィンティ、清水真飛

子ども参加:14名

新たな生活と変わらないツナガリ

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