インクルーシブな社会を目指す学習会報告
日時:2020年9月2日(水) 19:00~21:00(Zoomによる)
参加者:14名
講師:二羽 泰子氏(東京大学大学院教育学研究科付属バリアフリー教育開発研究センター)
内容:世界のインクルーシブ教育 ~欧米からアフリカまで~
今回の学習会は、今年度2度目となる二羽先生を招いての学習会となりました。
講師の二羽先生がこれまで訪れた12の国(アメリカ・フランス・スウェーデン・タイ・フィリピン・ベトナム・キルギス・ケニア・南アフリカ・マダガスカル・マラウィ・セネガル)について、各国のインクルーシブ教育の現状や位置づけ、政策の違いについて教えていただくことができました。
各国のインクルーシブ教育の政策や社会規範、子供たち・国民の置かれている状況など、一つとして同じものはないと理解はしていたつもりでしたが、実際に目で見て感じた当事者二羽先生のお話は、その国々を身近なものにすると共に、改めて「一つとして同じものなどない」と学ぶことができました。
特に印象に残った国は、スウェーデンです。“障害の社会モデル”に基づいた教育を進めているスウェーデンの学校では、障害児の統計を取りません。障害を個人の問題と捉えないスウェーデンにとっては当たり前のことかもしれません。日本では、「より細やかな支援のため」や「個人のニーズの把握」という認識の元、“障害児”というレッテルを貼って子どもたちを区別し、無意識のうちに排除を促しているのではないかと、考えさせられました。
様々な国の実情を聞く中で、「発展途上国から学ぶことも多い」という二羽先生の言葉「印象に残りました。「この国だからこう」「この地域はこう」という、イメージから来る決めつけが、「個人を大切にし、皆が同じ場所で生活できる」というインクルーシブの発想から最も遠く、インクルーシブな社会を実現するための一番大きな障壁ではないかと感じた学習会となりました。(M.H)
~ 感想・抜粋 ~
【大和市小学校 特別支援教育スクールアシスタント】
本日は、貴重な勉強会をありがとうございました。
私は、今回の勉強会を通して世界では障害者差別より人種差別の方が問題としては強いということに驚きました。
私は以前、カンボジアにいったことがあり実際に現地の小学校を何校か視察しましたが、人種差別をあまり感じませんでした。カンボジアという国の特性上の問題はあるかと思いますが…。しかし、今回の二羽先生の講義を通して世界のインクルーシブ教育の現状等を知り感じたことは、障害があるからと言って決めつけたりるのではなく、スウェーデンの事例のようにその子にとってできることがあるなら、できることで能力を発揮してもらうことはすごく重要なことだなと思いました。
私は教諭ではないので学級担任をしているわけではないのですが、私が務めている学校のとあるクラスで恐らく発達障害があるとされるお子さんに対し、できることで能力を発揮してもらっている場面を見たことがありました。
様々な世界の事例を学んだ今日、上記の事例の大切さを改めて再確認できたと思います。さらに、自分が学級担任を持った時に必ず取り組みたいなと思えるようになりました。
また私も海外に興味がありますが、時間も取れずなかなか行くことができません。コロナが収束し、時間にゆとりが出来たら二羽先生のおすすめの国を旅してみたいなと思います。
本日は貴重なお話をしていただきありがとうございました。
【大和市小学校 教諭】
今日は貴重なお話ありがとうございました。前回は参加できず、今回こそは二羽さんの話を聞きたいと思い、17時に職場を飛び出してきました。感想を言うと、非常に面白かったです。先進国がインクルーシブの実現に近いのかと思っていたのが覆されました。「インクルーシブの実現」と掲げている国の方が、難しい状況にあることを知りました。つまり、人々の考え方自体は、国の制度では変わらないのではないかと感じました。
学校で働いていると、「交流級でできないことがあるときは支援級で勉強」という言葉が職員間で飛び交います。そもそも、支援級に行って取り組めるのであれば、クラス(交流級)でもできるはずです。教材がなければ支援級から持ってくれば問題はありません。それも難しければクラスでもできる教材を作るのが支援級とクラス担任の務めだと考えます。今は、テストの時間でも支援級の児童がクラスの中で自立活動をしていたり、教室にマットを敷いて車いすの児童がいつでもストレッチができるようにしていたりします。同じ場で同じことをするということはできていませんが、まずは同じ場で学ぶことが大前提だと考えています。それよりも、なぜみんなが同じ場所で同じ学習をしなくてはいけないのかがよくわかりません。正直、その光景が不気味です。それぞれ違う人間で能力も異なるため、みんなちがっていいのだと思います。二羽さんのお話を聞いて、自分の考えをさらに大切にしていこうと感じました。本日は本当にありがとうございました。ぜひ、またお話が聞きたいです。よろしくお願いいたします。
【大和市小学校 元教諭】
インクルーシブ教育の外国の動向などは、まったく知識がなかったので、大変興味深く聞くことができました。
いくら政策が確立されたとしても、(されないよりはいいかもしれませんが)その先を創り上げていくには、日常生活に根付いた考え方がなければならないことがよく分かりました。
今までの慣習に知らない間に呪縛されていることに気付くためには、二羽先生がおっしゃる様に、まったく違う文化を持つ国の目で見てみることが必要なのかもしれないと思いました。
私は、和光大学の篠原先生たちが提唱してきた「ごちゃごちゃ一緒に当たり前に生きる」に共鳴して今まで実践してきたつもりです。だから、人との違いを強調して、個別化が進んでいく今の状況は、本当におかしいと思いますが、なかなか現場では、その考えが通用しなくなっています。どこから風穴を開けていけるのかこれからも、先生たちと考えていきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
【学校関係者】
私はしばしばこの規則や制度は誰にとって都合がいいのか、またどういう人には不都合なのかということ考えることがあります。また、国や政府、行政が言う国民、市民とは誰をさしているのか、そこに含まれない人とはどんな人なのかが気になることがあります。
よく言われることに、欧米で「女性の権利」という時には、それは白人の中産階級の女性が中心で、移民や有色人種は含まれないと。それと同様に私たちはややもすると健常者のみがこの社会を構成しているかのような気になっていることがあります。そのことの反省も含めて、二羽さんのお話を伺ってよかったと思いました。
キルギスの様子では、かつてのハンセン氏病患者に対する扱いを思い出しましたし、セネガルも同様に家族が障害者を隠そうとする様子はかつての日本も同様で、市中で障害者や障害児をほとんど見かけることはありませんでした。
私が特に惹かれたのは、ケニアの状況です。この障害者や人権に対する積極的な意識の源はどこから来るのでしょうか。また、ベトナムの特別支援学校をすべての子どもたちに開放するという逆転の発想や、スウェーデンの障害児を個としてとらえて、個々に応じた支援をしていくというところです。
最後に二羽さんが、発展途上国からも学ぶことは多いとおっしゃったのには同感です。環境教育もしかりです。
長くなってしまいましたが、貴重なお話を有難うございました。