【報告】5/23学習会

日時:2023年5月23日(火) 19:30~21:00(Zoomによる)

参加者:10名

内容:「日常生活に潜む優生思想について考える―インクルーシブな社会に向かう時の大きな壁―」

講師:松浪めぐみ氏(世界人権問題研究センター登録研究員)

今回の学習会では、優生思想とは何か、そしてその歴史と日本における優生保護法の変遷について学びました。また、優生保護法が存続し続けたその理由について、日々生活する私たちに内在している意識に光を当てる学習会になりました。

人の価値に序列をつける優生思想は、人権尊重の精神と相反するものであり、差別や排除を「しかたがないもの」として正当化するものとして機能している。そして、出生前診断の拡大や障害を持つ子どもが通常級にいることへの抵抗など、内なる優生思想からくる障害者への差別が存在しています。それは、SNSなどのネット上ではさらに過激な差別となり、障害者の権利を踏みにじる発言・行動となっています。

優生思想から脱することは簡単なことではなく、人権とは何かを問い続ける姿勢を持ち、差別が無意識・無知であることとから来ることを自覚した思考をしなくてはいけないと突きつけられました。差別のないインクルーシブな社会は、障害者と触れ合うだけで身につくという簡単なものではなく、共に考え悩み、ぶつかる中で互いにとっての良いものを探す過程の積み重ね(行動)からしか生まれないと感じました。

【参加者の感想より】

・これまで物事を良心によって「よい」「悪い」と判断してきましたが、自分の知らない法律があること。普段の日常では感じないものの、ネット上ではこんなにもひどい状況が広がっていること初めて知り、ショックでした。そこに触れている子どもたちへの影響はさらにひどいと想像できます。目の前にいる子どもに対して何ができるかと考えさせられる学習となりました。

・優生思想は、身近な思想だと思いました。私が小学生のころは、クラスに小児マヒのクラスメイトがいて、友達として普通に接していました。今は、子どもが様々な場所(支援級や国際級など)に細かく振り分けられている気がします。手厚い支援があるからでしょうか・・?

・兄が障害を持っており、小学校を卒業後に養護学校に入学しました。兄にとっては、通常級でみんなと過ごした期間も大事だったようです。優生思想がなくなると良いとは思いますが、「親がいなくなった後は、自分が・・・」と想像すると、いろいろなことを考えてしまいます。実は優生思想を持っているのかも、と感じました。

・自分は、ルーツに“中国”を持っています。そのことに悩んだこともありましたが、いろいろな人とかかわる中で、自分でよいと思えました。学校で生活している生徒も、いろいろな子と関わらないと、かたよってしまうと思います。支援級に生徒を追いやってしまうと、次は別の誰かがターゲットになってしまう(ターゲットがうまれてしまう)のではないかと考えてしまいます。学校というところは難しい場所だと思いました。

・人権意識と戦うことが大切であると改めて感じました。差別と闘う姿勢を忘れてしまうと、子どもや保護者への支援の方向性が変わってしまう危機感があります。常に、当事者の代弁者でありたいと思いました。また、保護者の人権意識も課題に思います。今後も、自分の子どもの「できない」に対して過敏に反応してしまうところに寄り添っていきたいです。