漫画 君たちはどう生きるか

3月理事推薦本
原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス 2017年)


 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、大変有名な書籍であるから、既に多くの方が読まれておられるに違いない。この書籍が、羽賀翔一により漫画となり、昨年の夏に刊行された。これがまたベストセラーになったと聞き、もう一度読んでみたいと思っていて、ようやく時間がとれて手に取った。
 「コペル君」。読み始めると、コペル君とともに「立派な人間になりたい」と考えた過去のあの日がよみがえり、一気に読み終えることとなった。そして、そのように生きていくことが大切なことなのだと思った頃を思い出し、本当にそう生きられているのかを自戒する時間にもなった。忘れかけていたところもある。嫌気がさして投げやりになっているところもある。それでも、五十代半ばで、再びこの書籍を手に取ったことで、残りの人生を、やはり「立派な人間になりたい」と思い続けて歩みたいと思い直した。
 「コペル君」は、書籍の主人公である本田潤一君の愛称で、潤一君のおじさんによってつけられたものである。コペルニクスが、それまでの常識であった天動説に対し地動説を唱えたことはよく知られているが、このような人間の認識の仕方が大きく変わることを、哲学者カントは「コペルニクス的転回」と呼んでいる。おじさんが潤一君に、物の見方の転回を促すことが中心的ストーリーであるこの書籍では、物の見方を転回させていく潤一君に「コペル君」という愛称を与えたのである。
 年齢を重ねてあらためて読むと、若いときには十分理解できなかったことが、今だからこそ、はっきりと掴めるところがある。その中の2つをここでは取り上げてみたい。
 一つは、貧しい家庭に育つ浦川君に関わる話にある。貧しい浦川君とは違い、勉強を妨げるものがない恵まれた立場にいるコペル君のような人が、どのような心掛けで生きていかなければならないのかが、おじさんから話される下りの先に、浦川君とコペル君を対比して語られる生産と消費の関係がある。
 「貧しい境遇に育ち、小学校を終えただけで、あとはただからだを働かせて生きてきたという人たちには、大人になっても、君だけの知識をもっていない人が多い。…。こういう点からだけ見てゆけば、君は、自分の方があの人々より上等な人間だと考えるのも無理はない。しかし、見方を変えて見ると、あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその肩にかついでいる人たちなんだ。…。あの人々のあの労働なしには、文明もなければ、世の中の進歩もありはしないのだ。…。してみれば、君の生活というのは、消費専門家の生活といっていいね。…。生み出してくれる人がいなかったら、それを味わったり、楽しんだりして消費することはできやしない」と提示され、最後に「生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ」とまとめられる、そのことの意味が今ははっきりと掴める。
 もう一つは、偉人や英雄の話の最後の下りである。
 「君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。世の中には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ」と締めくくられている。今まさに問題のまっただ中にある行政決裁文書の改竄などを考えるにつけ、もっと早くに、誰かがどこかでNoを出すことができなかったのかと思ってしまう。(SMT)