6月, 2013
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5月の理論学習会は、日本女子大学の清水睦美先生を講師としてお迎えし、「学校と社会」というテーマで講義をしていただきました。第一回目は1990年代以前の教育状況・社会状況を、第二回目は1990年代以降をお話いただきました。 学校化社会の成立を機に、進学が「勉強したいから」ではなく、「当たり前だから」に変化したことや、世の中が高度経済成長による価値観の広がりを見せたことで、学校の意義が揺らぐ事態を作り上げた。また、消費社会・情報化社会が誕生し、格差が出やすい世の中になった。では現在の学校はどこまで公正化できるのか・・・という課題を持ちながら参加者は講義を聴かれていたように思います。今の学校に、この世の中に対してできることなどあるのか・・・あまりにきつい社会情勢を前にうなだれていましたが、社会は変われる!と我々が思えるかどうかによって子どもに対してのメッセージは生まれてくるということ、そして現在の社会を覆っている「新自由主義」をはぎとる作業が学習なの だとうことを清水先生が言われた時、私を始め、特に若い先生方はパッと目の前が広がったのではないでしょうか。学習することによって教師の位置や価値観を考え直していく作業の足がかりとして、今後も理論学習会をとらえていきたいと思います。 今回、初めての試みで4月、5月に「理論学習会序説」を開催しました。今につながる膨大な歴史を学ぶために集中して学習会を行えたのはとても良かったと思いました。ただ、歴史を学び、今の何とつながっているか分かった後、現状をどう考えていくかまでは投げかけることができなかったと感じました。学習会の司会をどのようにやっていくかが今後の課題だと思います。
2013年06月18日 理論学習会 5月の理論学習会の報告−「理論学習会序説??−学校と社会−」
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理論学習会担当として2012年に学習を進めていく中で、若い先生が教育界の歴史をよく知らないという事が分かりました。そこで今を読み解くために理論と現状をつなげてみていこうという試みをもち、2013年は「理論学習会序説」と銘打ち、連続講座を開催しました。 4月の理論学習会は、日本女子大学の清水睦美先生を講師としてお迎えし、「いじめ」をテーマとして講義していただきました。第一回目は、主にいじめの構造変化を時代の流れを追いながら、第二回目は教室内でいじめが起こるときに教師の価値観がどのように働いているのか、をお話しいただきました。清水先生には何度も「いじめ」をテーマにお話しいただいていますが、毎回内容が異なるのは、やはり時代の流れによっていじめの構造も日々変わっていくからであることを改めて感じました。 いじめの構造が、いじめ・いじめられるという上下関係の固定からフラットな人間関係へと変化した一方、ぶつからないようにするのが大事であるという考えもあり、実際にはフラットになりきれない支配的な優劣をつけるムードがあることで、いじめ衝動が発生するということ、また心理主義の浸透によって、「治療的」やさしさから、「予防的」やさしさが重視され、自己コントロールを強要する風潮があることも知りました。 講義のなかで一番印象に残ったのは、教室内にいじめが起こる時、教師の価値観が多分に関係しているということです。質疑応答の場面で参加者の先生から若い先生に対して痛烈な一言が飛びました。「最近の若い教師はどのような価値観をもっているのか、そもそも価値観すらもっていないのではないか」という言葉です。学校では当たり前のように使っている「クラスでまとまろう」「みんなで頑張ろう」という言葉が雰囲気の一元化をつくり出していることや、一元化によってヴァルネラヴィティ(弱さ)が際だち、いじめを引き起こしていく原因になっていくことを学んだ今、教師がヴァルネラヴィティに対してどの立ち位置で臨むかが問われていることを強く感じる内容でした。
2013年06月18日 理論学習会 4月の理論学習会の報告−「理論学習会序説??−いじめ−」