2018
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7月の学習会に続き、学校教育の場における貧困を背景とした諸問題について、理論の側面だけでなく、実践の側面からも考えたいという趣旨から、ホームレスの状態にある人々の支援を行っている自立生活サポートセンターもやいが出版しているレクチャーブックを使い、資料を読み進めながらグループ協議を行った。 今回の学習会では、レクチャーブック中にある生活保護申請書を使い、参加者で実際に申請書を書いてみることからはじめた。 生活保護申請書からは、生活保護を受けたい理由を多く必要とすることや、親族の名前や連絡先を記載する欄があるということが分かった。特に、親族の名前と連絡先を記入することは、『溜め』が少なくなってしまった貧困を抱える人々にとっては大きな精神的負担となるのではないかということが参加者からあがり、その点から生活保護について考えることとした。 参加者からは「社会保障」・「権利」と「扶養義務」という言葉が出され、申請までの難しさが指摘された。貧困を抱え困っている人には生活保護を利用する権利がある。しかし、申請をするにあたってはその前にその家族へ扶養義務を求められる。「家族にまた迷惑をかけてしまう」そんな思いから生活保護の申請を諦めてしまう場合や、虐待やDVなどの理由から家を出て生活保護を利用したいとき、家族に連絡がいくことを恐れ、申請を諦めてしまう場合が考えられる。「自分が生活保護を利用すること」「家族に連絡がいくこと」その2つのはざまで生活保護を申請する人はどちらを選択するかを求められるのである。 また、その連絡を受けた家族はどう考えるだろうか。レクチャーブックのワークシートを進めると、今度は連絡を受けた家族の立場でも生活保護を考えさせられる。両親だったら?兄弟だったら?そして、その家族もまた貧困の中にいるとしたら?「扶養義務」という言葉の中には申請をする人、そしてその家族、それぞれの思いや背景までは含まれていない。一枚の申請書の記入は、利用したいと思う人々の葛藤や諦めを感じるとともに、私たちに申請までのその壁の高さを改めて認識させるものであった。 貧困の中で『溜め』が少なくなっている人や家族にとって、申請までたどり着くことすら難しい場合も考えられる。学習会後半では、学校や地域の中で貧困を抱える家庭を人や専門機関に『つなげる』ことができること、そして実際こういった話題を学校の中で進めていくことで、生活保護に対する認識を深めていくことができるのではないかと話された。私たちができることは何か。学校や地域から、『つながり』をつくる可能性を模索し、より実践に近づけたいと考える学習会となった。 参加者5名 参加者の感想:一部抜粋 「生活保護」という内容から、社会保障の在り方を考えることができました。正直、初めて考えさせられたので、貴重な機会でした。弱者を守る憲法が規定されているにもかかわらず、権力者が作る制度には全く反映されていない現状であると知ることができただけでも、生きる力になると感じました。(中学校教員) それぞれ違い(生活・個性)をもつ子が集まる公教育の場だからこそ、社会保障の大切さや、その権利を学ぶ意味はあると思う。いろいろな立場の人と話せてよかったです。(小学校教員) マジョリティをどう巻き込むのか教えるような授業でした。多数派の人たちにどううったえるのか、どう意識をもってもらうのか、どのような工夫が必要なのか。答えはわからないが、今日の授業でそう考えました。(大学生) 簡単に利用ができないことを改めて感じました。制度というよりは、利用したいと思う人の「心」がとても厳しい状態にさらされることを感じました。申請書を記入しながら思うようにペンが進まない自分がいました。苦しい思いをして申請をしに来ているのに、また申請で悩まなくてはならない。「当たり前に利用できる」そんな制度にしたいと思いました。(中学校教員)
2018年12月14日 理論学習会 10月報告 生活保護を「知る」
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2018年12月10日 理論学習会 講演会「子どもの貧困と乳幼児期における支援」報告
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7月報告 学校教育の場における貧困を背景とした諸問題について、理論の側面だけでなく、実践の側面からも考えたいという趣旨から、今回の学習会は、ホームレスの状態にある人々の支援を行っている自立生活サポートセンターもやいが出版しているレクチャーブックを使い、資料を読み進めながらグループ協議を行った。 今回の学習のめあては、「貧困を自分の問題として考える」「社会構造の理解」「自分と違う他者に思いをはせる」であった。 労働の状況や自殺者の推移のデータ、生活保護世帯の高校生の手紙など、実に多様な側面から貧困について考えた。そして、もやい元事務局長であり社会活動家の湯浅誠氏の「溜め」という言葉をキーワードに貧困は自分にも関わる身近な問題であり、社会構造において個人的努力によって解決できる問題ではないことを、レクチャーブックを読み進める中で、理解を進めた。 そして、学習会の後半では、ワークとして「困った時に相談できる人はいるか。」「あなたがもっている『溜め』は?『溜め』がなくなったら?」を、それぞれの参加者が、それぞれの立場から考えた。そこでは、人とのつながりがどれくらいあるか、財産の有無、情報の有無がもたらす差が、現実的な差となるという意見が出た。今の自分が何によって支えられているのかが具体的に見えたことで、『溜め』を実感することができたようであった。 最後に、仕事をすぐに辞めてしまう若者に対して、「努力しない人は自己責任だから国や社会が支援する必要はない」Aグループと、「たとえどんな人でもこの社会で生きている人である以上支援するべき」Bグループに分かれ、議論をした。後者の考えの上で、学習会に参加するものが多いため、前者の立場に立って考えることは困難だと参加者から声が上がったが、進めるうちに「Aグループの人を責める言葉は勢いにのって、どんどんヒートアップしてしまう。」「Bグループは根拠に基づいて解決策を提示することができるが、Aグループはこれといった根拠が出てこない」などと、立場を2つにして考えたことで、新しい発見もあった。 貧困を背景とした諸問題(家庭、不登校、学力、児童生徒指導など)に、学校現場は多くの時間を要して対応している。対応という後追いではなく、教育の側面として子ども達に提示することが必要ではないか、それは可能か、という司会者の問いに、参加者から多くの意見が出た。教科書からこのことについて学ぶ機会は少ない、または避ける傾向にあるのではないかという意見や、道徳的観点からお互い様の心を育むことが大切ではないか、貧困におちいらないためにも様々な「溜め」が必要であるためその溜めが失われたとき、支えとなる様々な制度を教えること、またその制度は、特別なものではなく、公共サービスの一つであることも教えることが大切ではないかという意見が出た。 次回の学習会も引き続き、レクチャーブックを使って、「生活保護」などについて理解を進める。また、今回の学習会で得たものから教員が実際に子ども達に何かしらのアクションをおこし、その内容や子ども達の反応を報告する会にしたいと思う。 参加者 7名 ◎以下、参加者の感想一部抜粋 Ed.ベンチャーの事業で労働教育を扱っていて、授業を考えていますが、考えが一方通行になりがちでした。本日、立場を変えて意見を出し合う活動をしたことで、様々な立場から貧困について考えられたのが楽しかったです。その中で「溜め」というキーワードがありました。貧困にかかわる問題の裏にある「溜め」の薄弱さに、これから目を向けていきたいと思います。ありがとうございました。(小学校教員) 貧困におちいらないためにも様々な「溜め」が必要であること。 → その溜めが失われたとき、支えとなる様々な制度を教えること → その制度は、特別なものではなく、公共サービスの一つであることも教えること → 自己責任論を生み出さない世の中になっていくと思う (中学校教員) 大変勉強になりました。 貧困の状態がよくわからず参加させていただきました。今日は「溜め」という言葉を勉強させていただきました。弱者は切り捨てられる社会になるのでしょうか?それとも弱者と共生して生活できるようになっているのでしょうか? (T・M) 今日話し合った内容など、知らない人たちに発信していきたいと思いました。帰ったら、すたんどばいみーに来ている子どもたちに教えていきます。福祉大学に行ってるのにもかかわらず、制度や窓口を知らないので、知っていく必要を感じました。(大学生) 2つのグループに分かれて議論したのがおもしろかった。自己責任論グループは、どんどん強いことを言えちゃう。その勢いに自分でも驚いた。溜めがない人ほど、人とつながりにくい。そこを忘れずに、人とつながっていきたい。今日はワークの中で、活発に意見を言い合えたのがよかったです。(小学校教員) 今日初めて参加して貧困について自分でも考えさせられる機会を持つことができました。また、自分が理解できても、小学生、中学生に説明することの難しさを痛感しました。(大学生) 今日の学習会では、いろいろな立場の人がいて、様々な意見が出てとても勉強になりました。グループ協議をしたことも新鮮でした。貧困状態にある人々は、理由があってそこから抜け出せないのにも関わらず、その人たちをたたく人たち。その人たちも生きづらさを感じているのではないかと思った。(中学校教員)
2018年09月22日 理論学習会 7月貧困を自分事として考える
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今回は12月に講演に来ていただく稲葉剛氏が著した『生活保護から考える』という文献を参加者で講読した。今回の学習会は文献購読を通して生活保護について知ること、知ったことで学校現場等で自分たちにできることを考えることの2点である。 文献購読を通して、生活保護について知る前と後で利用することへの捉え方が変わったという参加者がいた。第3章の「家族の限界」では子の親に対する扶養義務について述べられており、生活保護を受給している家庭の子どもは高等教育を受ける機会が限定され、高額所得者として成功しにくいという。3章ではある芸能人の親が不正受給していたというケースが紹介されており、報道された当初は子どもが親を扶養すべきと考えていたが、それでは貧困の連鎖に繋がってしまうと考えが変わったようだ。 他方で、生活保護について誤った理解をしていた参加者もいた。文献には生活保護を申請するときは書類はいらないと書かれていたが、申請に立ち会ったときに書類が必要だと言われ引き返したことがあるそうだ。生活保護について正しく理解をしていないと利用すべき人が利用できずに生活に困窮してしまうということを強く感じた事例だった。 学校現場で教師として自分ができることを考えたとき、生活保護について知識として知ることや利用している家庭にどのようなかかわりができるかを参加者で考えた。中学校の先生は家庭状況を考慮して進路選択のときに併願校などに配慮しているようだった。知識として知ることを考えたとき小学校では課題が見えた。小学校の先生は高学年ではかろうじて理解することはできようとも、低・中学年には生活保護や生活の困窮を理解することは難しいだろうという考えが多かった。しかし、自分が困った時に誰に頼ることができるかなど段階を下げて子どもたちに考えさせることはできるのではないかという意見も出た。子どもの発達段階に応じて教師がかかわることができるという結論に至った。 参加者:8名 参加者の感想:一部抜粋 ・生活保護についてより深く知りたくなりました。→この言葉に今日の学習会のすべてが表現されています。まずは、知ることが一歩だなと感じました。(小学校教員) ・自分自身が生活保護について知らなさ過ぎたことを反省しました。子どもたちに何ができるかの前に、しっかりと制度を理解しようと思います。(中学校教員) ・ほかの先生方の要約のおかげでより分かりやすく内容を理解することができました。生活保護についての知識は私自身もあまりなく、なぜ生活保護を受ける状況になるのか、どのくらいの支援がなされるのかよくわかっていません。自分の中学校にも生活保護を受給する家庭があるので、その子どもたちに対する支援の仕方を考えていく必要があると改めて感じました。(中学校教員) ・文献を読んで、この問題の渦中にいることもたちに直接的にかかわりを持つことできるのは教員であるという認識を改めてしました。世代間連鎖を産まないためにも自分たちができることを模索していきたいと思います。(小学校教員)
2018年06月18日 理論学習会 6月報告 生活保護を知る
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5月報告 内 容:『学級経営と子どもとの関わり』 報告者:後藤利恵先生(小学校) 富岡昌世先生(中学校) 日 時:2018年5月14日 シリウス19:00~21:00 参加者22名 新学期が始まり一か月、子ども達の様子や、人間関係が見え始め、これからの学級経営を見つめ直す時期でもあります。 今回は、現場の先生からの報告です。4月の学習会でお話いただいた、学級における集団構造の視点を受け、周辺化されがちな子どもの姿と、そこに関わる先生の実践を聞かせていただきました。 後藤先生(小)の報告には、子どもが置かれている家庭的背景、クラスでの立ち位置、その子自身の思いなど、多面的かつ丁寧に子どもを理解することを通して、子どもと出会っていく先生の姿がありました。離席を繰り返す児童の本音に寄り添いながら、一方でクラスの子どもたちの気持ちを汲み取り、多様な個性をもつ子ども達が集う「学級」をどうつくるかと悩み、様々な手を打つ先生。例えば、発想を転換させ、机といすを取り払って、座らなくてもいい授業をしてみる。計算の単元が続くときはその児童がきつくなるため、単元計画を入れ替えて図形やコンパスを交互にいれてみる。その子が得意なことでみんなとつながれるときは、全力で応援してみる。お母さんと必ず一日一トークしてみる。これらのことは、クラスの他の児童も抱え、ほとんどすべての授業を担任一人がこなす小学校の先生としては、覚悟とエネルギーがなければできないことです。それでも、弱い立場にある子も、そうでない子も含めてみんなで「学級」をつくるんだという先生の信念を強く感じました。他の先生を巻き込みヘルプを出すこと、担任としての思いを子どもたちに伝えること、多様な考えを知りそこから学び自分の意見を持てる子を育てること、日記(あのね帳)で子どもの心を垣間見る事、担任は一人三つ以上子どものいいところを言えること、リーダーの固定化を防ぎみんなが輝く手立てをとること、など。先生のお話から本が一冊かけるんじゃないかというくらい、困難を抱える子どもの見とり方と、手立てをお話していただきました。 富岡先生(中)の報告からは、みんなが安心できるクラスをめざし、みんなが平等であること、正義が通ること、お互いの存在を認め合うことを軸に、生徒との具体的な関わりの中でお話していただきました。周りと上手に関われない、授業についていけない、多動など、学校文化の中で困難を抱える生徒を丁寧に見とり、個に応じた配慮をするとともに、とにかくその生徒と積極的に関わりや会話の機会をつくる先生を見て、周りの生徒たちの関わり方が変容していきます。例えば、体育祭や音楽祭など、イベントの度に、そこにのっかることができずに壁にぶつかる生徒、困っているその生徒を気にかけ、様々な場面で、クラスの話題として、その生徒の名前が挙がるようになっていきます。音楽祭のクラス目標に、その生徒のアイディアが採用され、確実に集団の質が変わっていきました。子ども達が自分の持っている良いところに気づき、イキイキ生活するために目の前の生徒を丁寧に見とることが大切であるというお話が印象的でした。 参加者の多くが若手の教員であり、明日からの子どもとの関わりを今一度立ち止まって振り返る機会となり、今後の教員としての視点を提示していただいた学習会となりました。 (参加者の感想・一部) 子どもに合わせて、柔軟に対応されてきた後藤先生の実践を聞く機会を今回得ることができてよかったです。尊敬できる先生が近くにいて、共に働ける現場に感謝し、改めて後藤先生から「たくさんのことを吸収しなければいけない」と思いました。冨岡先生の実践からも、小学校と中学校という違いはあるが、子どもの気持ちに寄り添うという点では一緒だと感じました。二人の先生方のお話を聞いて、私も子どものことを第一に考えられる先生でありたいと改めて強く思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました。 子ども一人ひとりの特性や個性を理解することはとてもむずかしく、その子に合った学習方法を探求しなければならないと痛感しました。教師の自己満足を押し付けるのではなく、色々な手立てを試して実践して、その成果を子どもにつなげて、子どもに返していくべきだと思いました。家庭の様子を把握しておかなければ命に関わってくると改めて思いました。全てをひっくるめても子どもに寄り添うことがやっぱり大切! 子どもたちを色々な場面でしっかりつかみ、その実態に応じて、後藤先生の「ひらめき、引き出し」から次々に楽しい取り組みをされているところがスゴイと思います。それは先生の子ども観、教育観がブレずに貫かれているからだと思いました。これまでいろいろな実践を聞いたり読んだりしてきましたが、後藤先生のパワーはすごいですね。 今回の学習会を受けさせていただいて、問題があると思われる子は、不安や悩みがあり、それを言葉にしたり上手く表現ができないだけであることを改めて考えました。なのでその子に寄り添ってあげるのは担任かもしれないが、最終的にはクラスの子どもと関わりを持たせてあげることも大事であると思いました。「あのね帳」は実際にやってみたいと思います。本日は貴重なお話ありがとうございました。 お二人の先生の取り組みを聞いて、クラスの一人ひとりがとても大切にされていると感じました。また、丁寧に分析をしているという点も共通していて、私もとても勉強になりました。いろいろな支援を必要としている現場に、いろいろな支援の手も増えていますが、「やっぱり担任の先生」なんだとつくづく思います。特別なことをしなくても「担任としてできること」ってたくさんたくさんあるなと改めて思いました
2018年06月03日 理論学習会 子どもに寄り添う学級経営
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内容 『学級づくりの基本―子どもたちをどう捉えるか―』 講師 日本女子大学 清水睦美先生 日時 2018年 4月16日(月)19:00~21:00 場所 大和文化創造拠点シリウス603号室 参加者 19名 4月、5月の理論学習会では「学級経営」をテーマにした学習会を企画しました。新学期が始まり、新しいクラスの子どもたちとの出会いとともに、どう学級をつくるか、どう子どもたちと向き合っていくのかを多くの教師が考えることだと思います。 4月の学習会では、「学級づくりの基本かー子どもたちをどう捉えるかー」というテーマで日本女子大学の清水睦美先生に講演をしていただきました。講演は、「そもそも『学級』とは…」という内容で始まり、「学級」という集団を歴史の流れとともに話をしていただきました。そこからわかったことは、現代社会の中では「消費社会や情報化社会の浸透が生活の質を変え、生活の速度を早め、子どもたちの発達に大きな影響を及ぼしている」ということ、学級人数の多い現代の日本の学校での多様化する子どもたちのニーズに応えるためには、「民主主義的な社会形成のために学級での集団作りを民主的な集団づくりの経験の場としていく」ということでした。 そして、そのためには、①教室は民主的な「集団」づくりを学ぶ場、②人数の多い子どもの集まりを「集団」としてみる、③既存の集団を民主的な集団にする、という視点を教師が持つことが必要であるということでした。「学級」に存在する異なる価値観をどれだけ大事にできるのかということ、子どもたちの集団での位置取りや「いじめ」の構造から集団を分析すること、そして、教室を多様な価値を学ぶ場として雰囲気の一元化を避けることが「学級づくり」には大切であることを教えていただきました。 参加者からは、「いじめ」に関する知識を持てたことや、すべての子どもの個人としての意思決定を大事にすること、「クラスでまとまろう」という雰囲気の一元化を助長しないよう気を付けることなど、さまざまな視点からの感想があげられ、それぞれの課題に対する答えをもらったようでした。 また、清水先生が話されていた「教師は個人としての価値観を磨くこと」、「アンテナを高くもつこと」をこれからの学級経営の軸として、必要なことであるということも再確認することができました。「学級」づくりにおいて、教師のもつその価値観がいかに学級集団に影響を与えるのかを考え、これからの一年をどう過ごすのかということを考える学習会となりました。 ≪参加者の感想:一部≫ 学級で起こりうる「あるある話」をたくさん聞くことができ、思わず頷いてしまうお話ばかりでした。集団の人数によっていじめが発生する仕組みやカーストのことなど学級担任として知っておくべき知識だと感じました。私自身、効率化を図ってしまい、どうしてもよい学級=まとまりのある学級(?)=「民主主義」ということになりがちだった今までをかえりみて、価値観の多様性を大切に、明日からの学級づくりに生かしたいと思います。(小学校教員) 「いじめ」の仕組みや特性について改めて理解することができた。学級のまとまりをどうしても大切にしがちだが、一人ひとりの違いを認め合い、共存していくことが必要であるのだと気がつくことができた。子どもたちの位置取りについて、納得できる学級での情景が浮かんできた。 「いじめ」がひどくなるにつれて見えなくなるのはとても怖いと感じた。情報化社会が進んでいる今、発達が早い子どもたちが「いじめ」をはじめたら、その「いじめ」が進んでいくスピードも早まるのではないかと感じた。(小学校教員) 例え話が多く、とても分かりやすかったです。自分なりに考えて学級経営しているつもりだったが、もっと考えたり、学んだり、磨いたりしなければいけないと感じました。今日は参加できて本当に良かったです。(中学校教員) 今年度、初めての3年生担任になりました。ある程度の人間関係が築けている子どもたちですが、見えない部分でのトラブルも多分たくさんあるのだろうと思っています。教員がそのクラスの雰囲気の一元化を助長しないように気をつけるアンテナを持ちたいと改めて実感しました。一昨年度から参加させていただいて「クラスでまとまろう」「俺についてこい」「優勝を目指せ!」と大声で言う担任の多さにも気づけるようになりました。今回もありがとうございました。毎回、多くの学びを得られ、嬉しいです。(中学校教員)
2018年04月20日 理論学習会 4月報告 民主的な集団作り
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12月の理論学習会では、大和市の小中学校の先生が出会った、さまざまな環境、背景を持つ子どもたちの困難を知るとともに、先生方がどう寄り添いながら子どもたちと向き合ってきたのか、その実践をお話していただきました。 大和市内の小中学校には外国につながりのある児童生徒が勉強をする「国際教室」があります。小学校教諭の西本先生からは、「国際教室」で学習する外国人の子どもたちが、日本の文化の要素を強く持つ学校の中で、生きていくために必要な力をつけるため、一緒に問題や課題に向き合ってきた実践をお話していただきました。その報告では、洗濯やお弁当作り、買い物など、文化や生活が違う外国人の子どもたちが抱える困難を、子どもたちと活動をしながら、学習をしていった様子を聞くことができました。 また、中学校教諭の関野先生からは、中学校卒業後の進路に関わる実践報告をしていただきました。日本の進路には経済的な問題も山積します。そんな中、子どもとその家族や環境の中に踏み込むことで、国の違いや家族の問題、貧困など、1つ1つの問題や大変さを一緒に解決していく、そんな実践を聞くことができました。「よりそいを続けることでその子どものつぶやきが聞こえる。そしてそのつぶやきからわかることはいっぱいある。」「ふみこまれることを意外と待っている子どもがいる」という先生の言葉は、これまで子どもの生活に踏み込んできた実践の積み重ねから見えたものだということがわかりました。 2人の先生の実践から見えたことは、「(子どもの)生活実態につきあっている」ということでした。子どもに「ふみこむ」ということは、「距離をどうつくるか」ということ。子どもたち1人1人との距離は時と場によっても違っていて、その距離をつかむためには、子どもに寄り添い、自己表出ができる関係性が必要になるということもわかりました。 学校組織の中で、周りを巻き込みながら、「自分にできること」を実践していく、学校現場で子どもたちにどう向き合うかの道標をしていただいた学習会となりました。 内 容 大和の教員の実践 「困難を抱える子どもたちに向き合う現場からの報告」 講演者: 西本 理恵 先生 (大和市立上和田小学校 国際教室教諭) 関野 旬哉 先生(大和市立南林間中学校 教諭) 日 時 2017年12月4日(月)19:00~21:00 場 所 大和市文化創造拠点シリウス603号室 参加者17名 <参加者の感想:一部抜粋> 「外国籍の子ども」には抱えている課題が多くあることはわかっていましたが、どんなことをすれば良いのかをいろんな工夫で行動していることがわかりました。自分も子どもの先を見て、よんで、指導、支援していきたいです。そのために、どんな言葉でどんな内容で話をしたら良いのか経験談を聞きたいです。(中学校教師) 教育支援資金のことなどを初めて知りました。子どもたちの困り感に気づくアンテナをはれるよう意識したいです。日々の忙しさに追われて忘れてしまいがちなことを今日改めて思い出すことができました。本当にありがとうございました。(中学校教師) 今日はお二人の先生からお話を聞いて、「自分ができそうなこと」について考えを深めることができました。関野先生のお話からは、ふみこむこと、距離を近づける、離すなど、子どもに応じた対応することの必要性を学ぶことができました。そして、中学校に上がる子どもたちが、自分の「困った」を担任や他者に伝えられるようにするためにも、小学校段階でできることがきっとある。と思いました。 子ども同士の関係を築くことで、一人ひとりが生きやすい居場所とうか、安心できる学級づくりができると学びました。ありがとうございました。(大学生) お二人の先生の実践を聞いて大変勉強になりました。私自身も目の前の外国につながりのある子たちに寄り添い、理解しようと努めることを忘れない教師でありたいと思います。(小学校教師) 私が担任しているクラスに国際の生徒がいます。生活や学習に難しさがあり、担任として今できることは、彼のハンディキャップをなるべく埋めること、マイナスをなるべくゼロに近い状態にすることくらいです。しかし、今日の話を聞いて平穏に卒業させるということだけではなく、じゃあ彼は将来どう生きていくのか、というところに焦点を当ててふみ込んで行けなければいいなというふうに感じました。ありがとうございました。(中学校教師) 外国人、貧困、障害など、子どもたちが抱える「大変さ」にふみ込んでくれる先生方の実践はとても勉強になったし、なんだか勇気をもらった気がします。お二人のお話からイメージする子どもたちは、国際教室を自分の居場所として、また寄り添ってくれる先生がそばにいて、その「大変さ」のその壁を一緒に乗り越えてくれるそんな実践を聞くことができ、とても大きなヒントを頂いた気がします。本当にありがとうございました。(中学校教師)
2018年03月24日 理論学習会 12月報告向き合うふみこむ