7月の学習会に続き、学校教育の場における貧困を背景とした諸問題について、理論の側面だけでなく、実践の側面からも考えたいという趣旨から、ホームレスの状態にある人々の支援を行っている自立生活サポートセンターもやいが出版しているレクチャーブックを使い、資料を読み進めながらグループ協議を行った。
今回の学習会では、レクチャーブック中にある生活保護申請書を使い、参加者で実際に申請書を書いてみることからはじめた。
生活保護申請書からは、生活保護を受けたい理由を多く必要とすることや、親族の名前や連絡先を記載する欄があるということが分かった。特に、親族の名前と連絡先を記入することは、『溜め』が少なくなってしまった貧困を抱える人々にとっては大きな精神的負担となるのではないかということが参加者からあがり、その点から生活保護について考えることとした。
参加者からは「社会保障」・「権利」と「扶養義務」という言葉が出され、申請までの難しさが指摘された。貧困を抱え困っている人には生活保護を利用する権利がある。しかし、申請をするにあたってはその前にその家族へ扶養義務を求められる。「家族にまた迷惑をかけてしまう」そんな思いから生活保護の申請を諦めてしまう場合や、虐待やDVなどの理由から家を出て生活保護を利用したいとき、家族に連絡がいくことを恐れ、申請を諦めてしまう場合が考えられる。「自分が生活保護を利用すること」「家族に連絡がいくこと」その2つのはざまで生活保護を申請する人はどちらを選択するかを求められるのである。
また、その連絡を受けた家族はどう考えるだろうか。レクチャーブックのワークシートを進めると、今度は連絡を受けた家族の立場でも生活保護を考えさせられる。両親だったら?兄弟だったら?そして、その家族もまた貧困の中にいるとしたら?「扶養義務」という言葉の中には申請をする人、そしてその家族、それぞれの思いや背景までは含まれていない。一枚の申請書の記入は、利用したいと思う人々の葛藤や諦めを感じるとともに、私たちに申請までのその壁の高さを改めて認識させるものであった。
貧困の中で『溜め』が少なくなっている人や家族にとって、申請までたどり着くことすら難しい場合も考えられる。学習会後半では、学校や地域の中で貧困を抱える家庭を人や専門機関に『つなげる』ことができること、そして実際こういった話題を学校の中で進めていくことで、生活保護に対する認識を深めていくことができるのではないかと話された。私たちができることは何か。学校や地域から、『つながり』をつくる可能性を模索し、より実践に近づけたいと考える学習会となった。
参加者5名
参加者の感想:一部抜粋
「生活保護」という内容から、社会保障の在り方を考えることができました。正直、初めて考えさせられたので、貴重な機会でした。弱者を守る憲法が規定されているにもかかわらず、権力者が作る制度には全く反映されていない現状であると知ることができただけでも、生きる力になると感じました。(中学校教員)
それぞれ違い(生活・個性)をもつ子が集まる公教育の場だからこそ、社会保障の大切さや、その権利を学ぶ意味はあると思う。いろいろな立場の人と話せてよかったです。(小学校教員)
マジョリティをどう巻き込むのか教えるような授業でした。多数派の人たちにどううったえるのか、どう意識をもってもらうのか、どのような工夫が必要なのか。答えはわからないが、今日の授業でそう考えました。(大学生)
簡単に利用ができないことを改めて感じました。制度というよりは、利用したいと思う人の「心」がとても厳しい状態にさらされることを感じました。申請書を記入しながら思うようにペンが進まない自分がいました。苦しい思いをして申請をしに来ているのに、また申請で悩まなくてはならない。「当たり前に利用できる」そんな制度にしたいと思いました。(中学校教員)