9月の授業研究会は、中学校の国語の先生お二人(ベテラン&若手)で授業を担当してもらい、先週の土曜日に二回目の授業が終わりました。
私は2回とも見に行きました(事務局はビデオ記録係になっているのでだいたい参観します。私がビデオを持って行き、事務局員が撮影します)。「国語」という教科にとらわれない授業でした。1回目は貧困とマスコミ(メディア)を題材にしながら、物事をとらえるときに自分はどこの「立場」にいるのか?と問いかけます。そして2回目は、マスコミによる少数派の伝え方は中立だろうか?と問いかけます(もちろん、こんな抽象的な言葉は授業に出ることはありませんでしたが、見ていた大人としてまとめるとそんな感じ)。そして「偏見」という言葉の意味を学ぶというものでした。外国人の小学生を生徒として、「かれらに今必要なこと」を先生がたなりに考えた授業だったと思います。さらに、参観者は「参観者」でいられない、自らも問われているような、そんな授業でした。おもしろかったです。
外国人の子どもたちの支援を長くやってきた私にとっては、学校においてもこのような授業が行われるといいのにと強く思いました。読み書きや計算、所与の知識の獲得などはとても大事ですが、そこにとどまらない、子どもたちにとって必要な「力」があるように思います。たとえば、今回の授業で取り上げられた「立場」という漢字と読みはすぐに覚えられますが、本当にその意味を知り、また本当にその言葉が必要なときに使えるようにならなければ学んだ意味はありません。「外国人」ということを正面切って取り上げてもらったときに、初めてあの子どもたちは「立場」という言葉に接近できる可能性があるのかもしれません。
授業の詳細を知りたい方は、是非9月29日(水)の授業研究会にご参加下さい。