○日時:7月2日(月)
○場所:冨士見文化会館
○参加者:スタッフ2名、参加者13名
○内容:事例研究「対応に悩む児童の対応」
○提案者:吉間 里依(小学校教諭)
クラスにいる外国籍児童がとっている行動についての事例で、行動は相手の言葉を繰り返して挑発する・クラスの話し合いに参加しないなどですが、その行動が原因でトラブルになり、クラスの子は「ちゃんとやってくれないから嫌だ」と、その子を疎ましく思い始めているがどうすればよいかという内容でした。参加された先生に、同じような経験があるか、どのように対応しているかなど聞いてく中で、若手の先生方からは、先生だけではなく、まわりの児童にも声をかけてもらい、集団に入れていく案などが出ましたが、そもそもなぜ外国籍児童がそのような行動をとるのかを考えないことには何も分からないという意見が出たところから議論になりました。話し合っていく中で、クラスのルールや規律が誰のためにあるのか、教師がどの立場に立っているのかに焦点を当てて話し合いました。自分たちが普段当たり前のようにやっていることが、子どもたちにどのような意識をもたせているのかを考えなおす時間となりました。
【提案者の感想】
自分がクラスから少しでも違うことをしている子に対してとても厳しくしているのは、その子のためというより自分が子どものそれぞれの違いを認めない・受けとめられないといった気持ちがあるからだと気付かされました。危機的なのは、今まで立場の弱い子どもに寄り添ってクラスを作っていきたいと思っていたのに、やっていることは逆だったという事実です。私がクラスで拾っていた言葉も、マジョリティーの意見でした。議論の中でも、ルールや規律で厳しく子どもを管理して表面上まとまったクラスを作っている教師が多いという意見も出てきました。中学校では、ルールを厳しくすると、決まって教師の権威が下がり、学級崩壊に近づくということも聞きました。教師の言動が子どもたちのモデルになる可能性について知っていても、結局は立場の弱い子のための規律ではなかった。だから差異を認めない、みんなと同じことができなければダメな子であるという意識を、教師が子どもたちにつけさせてしまったことに気付きました。
これからも教師として様々な子どもたちと関わっていきますが、教師の言動が子どもの意識に影響するということ、何のための・誰のための規律なのか、いつも心に留めながらやっていかなければならないと思います。教師のキャパシティーが広げられれば、子どもを多様に支援できることを忘れずにやっていきたいです。
最後に、今回の理論学習会は、私たち教師にとって重要な議論だったと思います。学校の中で今回のような事例を相談しても、おそらく返ってくる答えは「集団からはみ出した子たちを、どうにかして集団の中に入れてあげよう」といったものだったでしょう。実際、私を含め、若い先生方から出てきた意見がそうでした。また担当者として、これから理論学習会の事例研究が、普段の言動に「待った」をかける場になるよう設定していきたいと思います。