わたしは分断を許さない

理事推薦本
堀 潤 著
『わたしは分断を許さない
香港、朝鮮半島、シリア、パレスチナ、福島、沖縄。
「ファクトなき固定観念」は何を奪うのか? 』
(実業之日本社、2020年)

 深夜寝付けずにつけたテレビで流れていた深夜のドキュメンタリー番組。フリーランスのジャーナリスト、堀潤を追っていた。自ら車を運転し東日本大震災の被災地を訪れ、ビデオカメラを片手に香港の民主化デモの最前線を取材する姿が映し出されていた。彼が発信するSNS、出演する番組をチェックするようになった。その堀潤が書いたのが「わたしは分断を許さない」。原発事故により、故郷を失い、生業を奪われ、今も苦しむ人々の間に「分断」と「差別」が生まれている福島県、普天間から辺野古への新基地移設に対する反対運動が続く沖縄、「逃亡犯条例改正案」に端を発した若者を中心とした民主化デモが激しさを増す香港、壁やフェンスで囲まれた地で、難民や子どもたちが困難な生活を送るパレスチナ・ガザ地区、中国資本が入り、大規模な都市開発が進められるカンボジアの首都プノンペン、日本国内や世界各地で起きている分断の現場を結びつけて考えることで、その解決のヒントを探ろうとしている。
 様々な分断を伝える中で、徹底しているのは、「大きな主語ではなく、小さな主語を使う」ということだ。『福島県で故郷富岡町を離れ生活する深谷さんは、「被災者」という偏見に苦しんでいる』、『香港の女学生は、デモの参加を巡って両親に反対されながらも、デモの最前線に飛び出していった』という具合に、分断が起きている地にいる誰かの話だ。原発事故から3年たったとき、「福島では今も多くの人たちが苦しんでいます。忘れないでください。」と呼びかけた。福島は県土も広く、原発事故の影響も復興の速度も異なるのに、「福島では」という「大きな主語」を使うことにより、分断に加担してしまっていたという反省からだ。
 小さな主語で語られている真実は、恥ずかしながら知らないことが多かった。いや、なんとなくニュースを見て、知っているつもりでいたのだ。本の最後に、「知るだけでもいい。知れば私たちは想うことができる。想いはやがて行動に変わる。」と書かれている。想い、行動することはできていなかった。今彼は、連日SNSを通じて、ミャンマーのクーデターについて伝えている。テレビのニュースでは短く死者の人数しか伝えられていないこの国で、何が起きているのか、その惨状を訴えている。事実を知り、日本から何ができるのか考えていきたい。(IT)