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2018年12月10日 理論学習会 講演会「子どもの貧困と乳幼児期における支援」報告
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7月報告 学校教育の場における貧困を背景とした諸問題について、理論の側面だけでなく、実践の側面からも考えたいという趣旨から、今回の学習会は、ホームレスの状態にある人々の支援を行っている自立生活サポートセンターもやいが出版しているレクチャーブックを使い、資料を読み進めながらグループ協議を行った。 今回の学習のめあては、「貧困を自分の問題として考える」「社会構造の理解」「自分と違う他者に思いをはせる」であった。 労働の状況や自殺者の推移のデータ、生活保護世帯の高校生の手紙など、実に多様な側面から貧困について考えた。そして、もやい元事務局長であり社会活動家の湯浅誠氏の「溜め」という言葉をキーワードに貧困は自分にも関わる身近な問題であり、社会構造において個人的努力によって解決できる問題ではないことを、レクチャーブックを読み進める中で、理解を進めた。 そして、学習会の後半では、ワークとして「困った時に相談できる人はいるか。」「あなたがもっている『溜め』は?『溜め』がなくなったら?」を、それぞれの参加者が、それぞれの立場から考えた。そこでは、人とのつながりがどれくらいあるか、財産の有無、情報の有無がもたらす差が、現実的な差となるという意見が出た。今の自分が何によって支えられているのかが具体的に見えたことで、『溜め』を実感することができたようであった。 最後に、仕事をすぐに辞めてしまう若者に対して、「努力しない人は自己責任だから国や社会が支援する必要はない」Aグループと、「たとえどんな人でもこの社会で生きている人である以上支援するべき」Bグループに分かれ、議論をした。後者の考えの上で、学習会に参加するものが多いため、前者の立場に立って考えることは困難だと参加者から声が上がったが、進めるうちに「Aグループの人を責める言葉は勢いにのって、どんどんヒートアップしてしまう。」「Bグループは根拠に基づいて解決策を提示することができるが、Aグループはこれといった根拠が出てこない」などと、立場を2つにして考えたことで、新しい発見もあった。 貧困を背景とした諸問題(家庭、不登校、学力、児童生徒指導など)に、学校現場は多くの時間を要して対応している。対応という後追いではなく、教育の側面として子ども達に提示することが必要ではないか、それは可能か、という司会者の問いに、参加者から多くの意見が出た。教科書からこのことについて学ぶ機会は少ない、または避ける傾向にあるのではないかという意見や、道徳的観点からお互い様の心を育むことが大切ではないか、貧困におちいらないためにも様々な「溜め」が必要であるためその溜めが失われたとき、支えとなる様々な制度を教えること、またその制度は、特別なものではなく、公共サービスの一つであることも教えることが大切ではないかという意見が出た。 次回の学習会も引き続き、レクチャーブックを使って、「生活保護」などについて理解を進める。また、今回の学習会で得たものから教員が実際に子ども達に何かしらのアクションをおこし、その内容や子ども達の反応を報告する会にしたいと思う。 参加者 7名 ◎以下、参加者の感想一部抜粋 Ed.ベンチャーの事業で労働教育を扱っていて、授業を考えていますが、考えが一方通行になりがちでした。本日、立場を変えて意見を出し合う活動をしたことで、様々な立場から貧困について考えられたのが楽しかったです。その中で「溜め」というキーワードがありました。貧困にかかわる問題の裏にある「溜め」の薄弱さに、これから目を向けていきたいと思います。ありがとうございました。(小学校教員) 貧困におちいらないためにも様々な「溜め」が必要であること。 → その溜めが失われたとき、支えとなる様々な制度を教えること → その制度は、特別なものではなく、公共サービスの一つであることも教えること → 自己責任論を生み出さない世の中になっていくと思う (中学校教員) 大変勉強になりました。 貧困の状態がよくわからず参加させていただきました。今日は「溜め」という言葉を勉強させていただきました。弱者は切り捨てられる社会になるのでしょうか?それとも弱者と共生して生活できるようになっているのでしょうか? (T・M) 今日話し合った内容など、知らない人たちに発信していきたいと思いました。帰ったら、すたんどばいみーに来ている子どもたちに教えていきます。福祉大学に行ってるのにもかかわらず、制度や窓口を知らないので、知っていく必要を感じました。(大学生) 2つのグループに分かれて議論したのがおもしろかった。自己責任論グループは、どんどん強いことを言えちゃう。その勢いに自分でも驚いた。溜めがない人ほど、人とつながりにくい。そこを忘れずに、人とつながっていきたい。今日はワークの中で、活発に意見を言い合えたのがよかったです。(小学校教員) 今日初めて参加して貧困について自分でも考えさせられる機会を持つことができました。また、自分が理解できても、小学生、中学生に説明することの難しさを痛感しました。(大学生) 今日の学習会では、いろいろな立場の人がいて、様々な意見が出てとても勉強になりました。グループ協議をしたことも新鮮でした。貧困状態にある人々は、理由があってそこから抜け出せないのにも関わらず、その人たちをたたく人たち。その人たちも生きづらさを感じているのではないかと思った。(中学校教員)
2018年09月22日 理論学習会 7月貧困を自分事として考える
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今回は12月に講演に来ていただく稲葉剛氏が著した『生活保護から考える』という文献を参加者で講読した。今回の学習会は文献購読を通して生活保護について知ること、知ったことで学校現場等で自分たちにできることを考えることの2点である。 文献購読を通して、生活保護について知る前と後で利用することへの捉え方が変わったという参加者がいた。第3章の「家族の限界」では子の親に対する扶養義務について述べられており、生活保護を受給している家庭の子どもは高等教育を受ける機会が限定され、高額所得者として成功しにくいという。3章ではある芸能人の親が不正受給していたというケースが紹介されており、報道された当初は子どもが親を扶養すべきと考えていたが、それでは貧困の連鎖に繋がってしまうと考えが変わったようだ。 他方で、生活保護について誤った理解をしていた参加者もいた。文献には生活保護を申請するときは書類はいらないと書かれていたが、申請に立ち会ったときに書類が必要だと言われ引き返したことがあるそうだ。生活保護について正しく理解をしていないと利用すべき人が利用できずに生活に困窮してしまうということを強く感じた事例だった。 学校現場で教師として自分ができることを考えたとき、生活保護について知識として知ることや利用している家庭にどのようなかかわりができるかを参加者で考えた。中学校の先生は家庭状況を考慮して進路選択のときに併願校などに配慮しているようだった。知識として知ることを考えたとき小学校では課題が見えた。小学校の先生は高学年ではかろうじて理解することはできようとも、低・中学年には生活保護や生活の困窮を理解することは難しいだろうという考えが多かった。しかし、自分が困った時に誰に頼ることができるかなど段階を下げて子どもたちに考えさせることはできるのではないかという意見も出た。子どもの発達段階に応じて教師がかかわることができるという結論に至った。 参加者:8名 参加者の感想:一部抜粋 ・生活保護についてより深く知りたくなりました。→この言葉に今日の学習会のすべてが表現されています。まずは、知ることが一歩だなと感じました。(小学校教員) ・自分自身が生活保護について知らなさ過ぎたことを反省しました。子どもたちに何ができるかの前に、しっかりと制度を理解しようと思います。(中学校教員) ・ほかの先生方の要約のおかげでより分かりやすく内容を理解することができました。生活保護についての知識は私自身もあまりなく、なぜ生活保護を受ける状況になるのか、どのくらいの支援がなされるのかよくわかっていません。自分の中学校にも生活保護を受給する家庭があるので、その子どもたちに対する支援の仕方を考えていく必要があると改めて感じました。(中学校教員) ・文献を読んで、この問題の渦中にいることもたちに直接的にかかわりを持つことできるのは教員であるという認識を改めてしました。世代間連鎖を産まないためにも自分たちができることを模索していきたいと思います。(小学校教員)
2018年06月18日 理論学習会 6月報告 生活保護を知る
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5月報告 内 容:『学級経営と子どもとの関わり』 報告者:後藤利恵先生(小学校) 富岡昌世先生(中学校) 日 時:2018年5月14日 シリウス19:00~21:00 参加者22名 新学期が始まり一か月、子ども達の様子や、人間関係が見え始め、これからの学級経営を見つめ直す時期でもあります。 今回は、現場の先生からの報告です。4月の学習会でお話いただいた、学級における集団構造の視点を受け、周辺化されがちな子どもの姿と、そこに関わる先生の実践を聞かせていただきました。 後藤先生(小)の報告には、子どもが置かれている家庭的背景、クラスでの立ち位置、その子自身の思いなど、多面的かつ丁寧に子どもを理解することを通して、子どもと出会っていく先生の姿がありました。離席を繰り返す児童の本音に寄り添いながら、一方でクラスの子どもたちの気持ちを汲み取り、多様な個性をもつ子ども達が集う「学級」をどうつくるかと悩み、様々な手を打つ先生。例えば、発想を転換させ、机といすを取り払って、座らなくてもいい授業をしてみる。計算の単元が続くときはその児童がきつくなるため、単元計画を入れ替えて図形やコンパスを交互にいれてみる。その子が得意なことでみんなとつながれるときは、全力で応援してみる。お母さんと必ず一日一トークしてみる。これらのことは、クラスの他の児童も抱え、ほとんどすべての授業を担任一人がこなす小学校の先生としては、覚悟とエネルギーがなければできないことです。それでも、弱い立場にある子も、そうでない子も含めてみんなで「学級」をつくるんだという先生の信念を強く感じました。他の先生を巻き込みヘルプを出すこと、担任としての思いを子どもたちに伝えること、多様な考えを知りそこから学び自分の意見を持てる子を育てること、日記(あのね帳)で子どもの心を垣間見る事、担任は一人三つ以上子どものいいところを言えること、リーダーの固定化を防ぎみんなが輝く手立てをとること、など。先生のお話から本が一冊かけるんじゃないかというくらい、困難を抱える子どもの見とり方と、手立てをお話していただきました。 富岡先生(中)の報告からは、みんなが安心できるクラスをめざし、みんなが平等であること、正義が通ること、お互いの存在を認め合うことを軸に、生徒との具体的な関わりの中でお話していただきました。周りと上手に関われない、授業についていけない、多動など、学校文化の中で困難を抱える生徒を丁寧に見とり、個に応じた配慮をするとともに、とにかくその生徒と積極的に関わりや会話の機会をつくる先生を見て、周りの生徒たちの関わり方が変容していきます。例えば、体育祭や音楽祭など、イベントの度に、そこにのっかることができずに壁にぶつかる生徒、困っているその生徒を気にかけ、様々な場面で、クラスの話題として、その生徒の名前が挙がるようになっていきます。音楽祭のクラス目標に、その生徒のアイディアが採用され、確実に集団の質が変わっていきました。子ども達が自分の持っている良いところに気づき、イキイキ生活するために目の前の生徒を丁寧に見とることが大切であるというお話が印象的でした。 参加者の多くが若手の教員であり、明日からの子どもとの関わりを今一度立ち止まって振り返る機会となり、今後の教員としての視点を提示していただいた学習会となりました。 (参加者の感想・一部) 子どもに合わせて、柔軟に対応されてきた後藤先生の実践を聞く機会を今回得ることができてよかったです。尊敬できる先生が近くにいて、共に働ける現場に感謝し、改めて後藤先生から「たくさんのことを吸収しなければいけない」と思いました。冨岡先生の実践からも、小学校と中学校という違いはあるが、子どもの気持ちに寄り添うという点では一緒だと感じました。二人の先生方のお話を聞いて、私も子どものことを第一に考えられる先生でありたいと改めて強く思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました。 子ども一人ひとりの特性や個性を理解することはとてもむずかしく、その子に合った学習方法を探求しなければならないと痛感しました。教師の自己満足を押し付けるのではなく、色々な手立てを試して実践して、その成果を子どもにつなげて、子どもに返していくべきだと思いました。家庭の様子を把握しておかなければ命に関わってくると改めて思いました。全てをひっくるめても子どもに寄り添うことがやっぱり大切! 子どもたちを色々な場面でしっかりつかみ、その実態に応じて、後藤先生の「ひらめき、引き出し」から次々に楽しい取り組みをされているところがスゴイと思います。それは先生の子ども観、教育観がブレずに貫かれているからだと思いました。これまでいろいろな実践を聞いたり読んだりしてきましたが、後藤先生のパワーはすごいですね。 今回の学習会を受けさせていただいて、問題があると思われる子は、不安や悩みがあり、それを言葉にしたり上手く表現ができないだけであることを改めて考えました。なのでその子に寄り添ってあげるのは担任かもしれないが、最終的にはクラスの子どもと関わりを持たせてあげることも大事であると思いました。「あのね帳」は実際にやってみたいと思います。本日は貴重なお話ありがとうございました。 お二人の先生の取り組みを聞いて、クラスの一人ひとりがとても大切にされていると感じました。また、丁寧に分析をしているという点も共通していて、私もとても勉強になりました。いろいろな支援を必要としている現場に、いろいろな支援の手も増えていますが、「やっぱり担任の先生」なんだとつくづく思います。特別なことをしなくても「担任としてできること」ってたくさんたくさんあるなと改めて思いました
2018年06月03日 理論学習会 子どもに寄り添う学級経営
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内容 『学級づくりの基本―子どもたちをどう捉えるか―』 講師 日本女子大学 清水睦美先生 日時 2018年 4月16日(月)19:00~21:00 場所 大和文化創造拠点シリウス603号室 参加者 19名 4月、5月の理論学習会では「学級経営」をテーマにした学習会を企画しました。新学期が始まり、新しいクラスの子どもたちとの出会いとともに、どう学級をつくるか、どう子どもたちと向き合っていくのかを多くの教師が考えることだと思います。 4月の学習会では、「学級づくりの基本かー子どもたちをどう捉えるかー」というテーマで日本女子大学の清水睦美先生に講演をしていただきました。講演は、「そもそも『学級』とは…」という内容で始まり、「学級」という集団を歴史の流れとともに話をしていただきました。そこからわかったことは、現代社会の中では「消費社会や情報化社会の浸透が生活の質を変え、生活の速度を早め、子どもたちの発達に大きな影響を及ぼしている」ということ、学級人数の多い現代の日本の学校での多様化する子どもたちのニーズに応えるためには、「民主主義的な社会形成のために学級での集団作りを民主的な集団づくりの経験の場としていく」ということでした。 そして、そのためには、①教室は民主的な「集団」づくりを学ぶ場、②人数の多い子どもの集まりを「集団」としてみる、③既存の集団を民主的な集団にする、という視点を教師が持つことが必要であるということでした。「学級」に存在する異なる価値観をどれだけ大事にできるのかということ、子どもたちの集団での位置取りや「いじめ」の構造から集団を分析すること、そして、教室を多様な価値を学ぶ場として雰囲気の一元化を避けることが「学級づくり」には大切であることを教えていただきました。 参加者からは、「いじめ」に関する知識を持てたことや、すべての子どもの個人としての意思決定を大事にすること、「クラスでまとまろう」という雰囲気の一元化を助長しないよう気を付けることなど、さまざまな視点からの感想があげられ、それぞれの課題に対する答えをもらったようでした。 また、清水先生が話されていた「教師は個人としての価値観を磨くこと」、「アンテナを高くもつこと」をこれからの学級経営の軸として、必要なことであるということも再確認することができました。「学級」づくりにおいて、教師のもつその価値観がいかに学級集団に影響を与えるのかを考え、これからの一年をどう過ごすのかということを考える学習会となりました。 ≪参加者の感想:一部≫ 学級で起こりうる「あるある話」をたくさん聞くことができ、思わず頷いてしまうお話ばかりでした。集団の人数によっていじめが発生する仕組みやカーストのことなど学級担任として知っておくべき知識だと感じました。私自身、効率化を図ってしまい、どうしてもよい学級=まとまりのある学級(?)=「民主主義」ということになりがちだった今までをかえりみて、価値観の多様性を大切に、明日からの学級づくりに生かしたいと思います。(小学校教員) 「いじめ」の仕組みや特性について改めて理解することができた。学級のまとまりをどうしても大切にしがちだが、一人ひとりの違いを認め合い、共存していくことが必要であるのだと気がつくことができた。子どもたちの位置取りについて、納得できる学級での情景が浮かんできた。 「いじめ」がひどくなるにつれて見えなくなるのはとても怖いと感じた。情報化社会が進んでいる今、発達が早い子どもたちが「いじめ」をはじめたら、その「いじめ」が進んでいくスピードも早まるのではないかと感じた。(小学校教員) 例え話が多く、とても分かりやすかったです。自分なりに考えて学級経営しているつもりだったが、もっと考えたり、学んだり、磨いたりしなければいけないと感じました。今日は参加できて本当に良かったです。(中学校教員) 今年度、初めての3年生担任になりました。ある程度の人間関係が築けている子どもたちですが、見えない部分でのトラブルも多分たくさんあるのだろうと思っています。教員がそのクラスの雰囲気の一元化を助長しないように気をつけるアンテナを持ちたいと改めて実感しました。一昨年度から参加させていただいて「クラスでまとまろう」「俺についてこい」「優勝を目指せ!」と大声で言う担任の多さにも気づけるようになりました。今回もありがとうございました。毎回、多くの学びを得られ、嬉しいです。(中学校教員)
2018年04月20日 理論学習会 4月報告 民主的な集団作り
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12月の理論学習会では、大和市の小中学校の先生が出会った、さまざまな環境、背景を持つ子どもたちの困難を知るとともに、先生方がどう寄り添いながら子どもたちと向き合ってきたのか、その実践をお話していただきました。 大和市内の小中学校には外国につながりのある児童生徒が勉強をする「国際教室」があります。小学校教諭の西本先生からは、「国際教室」で学習する外国人の子どもたちが、日本の文化の要素を強く持つ学校の中で、生きていくために必要な力をつけるため、一緒に問題や課題に向き合ってきた実践をお話していただきました。その報告では、洗濯やお弁当作り、買い物など、文化や生活が違う外国人の子どもたちが抱える困難を、子どもたちと活動をしながら、学習をしていった様子を聞くことができました。 また、中学校教諭の関野先生からは、中学校卒業後の進路に関わる実践報告をしていただきました。日本の進路には経済的な問題も山積します。そんな中、子どもとその家族や環境の中に踏み込むことで、国の違いや家族の問題、貧困など、1つ1つの問題や大変さを一緒に解決していく、そんな実践を聞くことができました。「よりそいを続けることでその子どものつぶやきが聞こえる。そしてそのつぶやきからわかることはいっぱいある。」「ふみこまれることを意外と待っている子どもがいる」という先生の言葉は、これまで子どもの生活に踏み込んできた実践の積み重ねから見えたものだということがわかりました。 2人の先生の実践から見えたことは、「(子どもの)生活実態につきあっている」ということでした。子どもに「ふみこむ」ということは、「距離をどうつくるか」ということ。子どもたち1人1人との距離は時と場によっても違っていて、その距離をつかむためには、子どもに寄り添い、自己表出ができる関係性が必要になるということもわかりました。 学校組織の中で、周りを巻き込みながら、「自分にできること」を実践していく、学校現場で子どもたちにどう向き合うかの道標をしていただいた学習会となりました。 内 容 大和の教員の実践 「困難を抱える子どもたちに向き合う現場からの報告」 講演者: 西本 理恵 先生 (大和市立上和田小学校 国際教室教諭) 関野 旬哉 先生(大和市立南林間中学校 教諭) 日 時 2017年12月4日(月)19:00~21:00 場 所 大和市文化創造拠点シリウス603号室 参加者17名 <参加者の感想:一部抜粋> 「外国籍の子ども」には抱えている課題が多くあることはわかっていましたが、どんなことをすれば良いのかをいろんな工夫で行動していることがわかりました。自分も子どもの先を見て、よんで、指導、支援していきたいです。そのために、どんな言葉でどんな内容で話をしたら良いのか経験談を聞きたいです。(中学校教師) 教育支援資金のことなどを初めて知りました。子どもたちの困り感に気づくアンテナをはれるよう意識したいです。日々の忙しさに追われて忘れてしまいがちなことを今日改めて思い出すことができました。本当にありがとうございました。(中学校教師) 今日はお二人の先生からお話を聞いて、「自分ができそうなこと」について考えを深めることができました。関野先生のお話からは、ふみこむこと、距離を近づける、離すなど、子どもに応じた対応することの必要性を学ぶことができました。そして、中学校に上がる子どもたちが、自分の「困った」を担任や他者に伝えられるようにするためにも、小学校段階でできることがきっとある。と思いました。 子ども同士の関係を築くことで、一人ひとりが生きやすい居場所とうか、安心できる学級づくりができると学びました。ありがとうございました。(大学生) お二人の先生の実践を聞いて大変勉強になりました。私自身も目の前の外国につながりのある子たちに寄り添い、理解しようと努めることを忘れない教師でありたいと思います。(小学校教師) 私が担任しているクラスに国際の生徒がいます。生活や学習に難しさがあり、担任として今できることは、彼のハンディキャップをなるべく埋めること、マイナスをなるべくゼロに近い状態にすることくらいです。しかし、今日の話を聞いて平穏に卒業させるということだけではなく、じゃあ彼は将来どう生きていくのか、というところに焦点を当ててふみ込んで行けなければいいなというふうに感じました。ありがとうございました。(中学校教師) 外国人、貧困、障害など、子どもたちが抱える「大変さ」にふみ込んでくれる先生方の実践はとても勉強になったし、なんだか勇気をもらった気がします。お二人のお話からイメージする子どもたちは、国際教室を自分の居場所として、また寄り添ってくれる先生がそばにいて、その「大変さ」のその壁を一緒に乗り越えてくれるそんな実践を聞くことができ、とても大きなヒントを頂いた気がします。本当にありがとうございました。(中学校教師)
2018年03月24日 理論学習会 12月報告向き合うふみこむ
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内 容 「文献講読 加藤彰彦著『貧困児童~子どもの貧困からの脱出』(創英社/三省堂書店) 日 時 2017年11月6日(月)19:00~21:00 場 所 大和市文化創造拠点シリウス603号室 参加者11名 11月の理論学習会では、「貧困児童」という本で文献講読会をおこないました。6章で別れている本の要約を各章一人ずつおこない発表しました。その後は参加者で本を読んだ感想や「子どもの貧困」の現状について話をしました。 「貧困」は絶対的貧困と相対的貧困に分けられます。日本で貧困問題を考えるとき、この相対的貧困について考えます。(相対的貧困とは、「現在暮らしている社会のほとんどの人が享受している『普通の生活』をおくることができない状態」をいう。:文献より抜粋)衣・食・住ができないことを「貧困」とイメージしていると、現代の日本における「子どもの貧困」という言葉は理解しづらいのではないかと思います。今回、文献講読をおこない、日本における相対的貧困である「子どもの貧困」の状況を理解するとともに、背景としてお母さんやお父さんの置かれている厳しい現状もあるということを知りました。 後半の話し合いの場では、自分の周りにいる子どもたちがどのような状況に置かれているのか、また、今日の社会の中では、これまで「親として当たり前」と思われていること、「親として当然」ということが非常に難しい現実があるということがわかり、そのことが子どもたちの貧困へと連鎖を生んでいることも知りました。多くの貧困家庭を支援する(サポートする)制度があっても申請主義をとる日本の中では、手続きをすることが大きな壁となっている現状もわかりました。 学校は、教師は、子どもたちとどう関わっていくのか、どのように家庭に入っていくのか、学校ができることは何か、ということについても話がされました。「子どもの貧困」の現状を話をする中で、学校が持つ可能性の実践として「学校が制度を家庭に伝えることで、手続きをすることができた」という話もされました。 学校が、教師ができること、そして、子どもたちにどんな力をつけさせるか、何ができるのか、「子どもの貧困」という問題にどう立ち向かっていくのかを改めて考えさせられました。 できることは多くあるのかもしれません。でもまずは「自分のまわりにいる貧困児童に気づくこと」。この第一歩をしっかりと出せるようにしたいと思います。 <参加者の感想:一部抜粋> 貧困ということについて初めて真剣に考えました。全てのことについて当たり前だと思わないこと、教員としてどこまで家庭と関わっていくか、とても勉強になりました。これからは今自分ができることはやっていきたいと思ったと同時に、生徒との関わりを今以上に大切にしていきたいと思いました。中学校教師 みなさんから色々な具体的なお話を聞くことができてとても勉強になりました。少し考えてみると身近に“相対的貧困”に当てはまるであろう生徒が何人も思い浮かび、はっとしました。明日から少しでも私にできることをやっていかなければと思いました。中学校教師 学校ができること、教員ができること!といってもますます厳しいな、と思ってしまいます。学校が家庭を支援する視点はだいぶ現場にもあると思いますが、やはり、子どもたちがこれから生きていく上で、公的サービス、支援について知ること、考えること、行動できること、人とつながること、そんな力をつけていけるようにしたいです。小学校教師
2017年11月28日 理論学習会 11月 再考:子どもの貧困
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内容 『子どもの貧困~からだ・こころ・性~ 』 講師 金子由美子先生 さいたま市生活困窮者学習支援事業代表 日時 2017年 10月2日(月)19:00~21:00 場所 大和文化創造拠点シリウス603号室 参加者 12名 保健室という現場で、性教育や思春期の子ども達への取り組みを実践されてきた金子先生。現在は、さいたま市で生活保護または児童扶養手当を受けている子ども達に無料で学習支援を行う事業の中心で活動され、若者たちの居場所づくりに奔走されている。常に、実践の中にいる先生のお話は、若者たちの生きづらさを語るものだった。 貧困やそれに関わる複合的な困難による子ども・保護者の感情や行動に目を向け、子どもをみる時のまなざし(不登校、基礎学力、体力、塾、友達、学校行事、部活、給食、など)、家庭の問題(身支度、食事、リーガルリテラシー、識字能力、疾病、外国籍、親せき、ネグレクトなど)を、貧困状況にある子ども達への視点のポイントを具体的に挙げてくださった。学校現場で、私たち教師が子どもに出会うときは、何か問題が起こったり、学校から離脱したりと具体的な出来事から、その背景を知ることになる。その時に、複合的な視点から、分析することが具体的な手立てへの一歩になると感じた。 「人生は長い、長いステージ」という金子先生。親の離婚や再婚、シングルマザーの厳しい現実、大変な生活の中に身を置き、自分を表現できず苦しむ子ども達、子ども達との出会いと関わりを具体的な事例から語る中に、おとなになることが困難な子ども達の姿が想像された。「思春期はさなぎ」と言い、「思春期の育ちなおし」ができる社会、大人のサポートが大切だとおっしゃった。自分の力で自分をつくりだすこと、 そのために大人が見守っていくことが大事だというお話が印象的だった。 今回の学習会には、高校生や養護教諭、様々な年齢層と立場の参加があり、それぞれの立場から、どう子どもに寄り添うか、という話も出た。様々な困難を抱える子どもたちを前にしたとき、 自分に何ができるのかと考えてしまうこともあるが、見守れる・寄り添えるだけの知識と言葉を身につけ子どもたちが生きる今に寄り添える教員になりたいと改めて感じた学習会となった。 多くの事例から、子どもたちのおかれている現状の大変さを認識しました。私も一養護教諭として苦しんでいる子を見逃していないか、日々振り返りながら職務にあたっていきたいと思っています。こうして、定期的に学習会を開催している皆様に敬意を表したいです。また、参加させてください。(養護教師) 多くの経験談を聞かせていただきありがとうございました。家庭内のトラブルによって大人への不信、学校不信、人間不信にもつながるのではないかと、先生の話を聞いて思いました。家庭内に「なにか」ある子に気づき、相談できる環境をこれからも整えていきたいです。(小学校教師) 家庭が安心できる場ではない子たちのSOSを周りの大人がキャッチして救ってあげられるようにしなければと思いました。そのために、子どもたちの置かれている状況を知ること、アンテナをはって子どもと関わっていくことが大切だと感じました。貴重なお話をありがとうございました。(小学校教師) 今日はありがとうございました。大人との関係性の再構築という言葉が印象に残りました。家庭や教員と問題が発生し、子どもたちから話を聞く機会があるのですが、子どもたちがどんな風に大人を見ているのか、あまり考えずに来ていたなと思います。明日からこの視点を持って接していきたいと思います。(中学校教師) 大和市内でも性教育についてはずーっと続いていたのに、多忙化や学習内容が増えたことでなおざりにされてきていることにこれではよくないと危機感を持っています。これからの教員一人が命と性に対しての学習を深め子どもたちに生きることの素晴らしさを教えていってほしいと思います。(小学校教師) 日々向かい合っている生徒たち一人1人にできることって何だろうと考えています。『思春期はさなぎ』と伺い、「たしかに自分もそうだったな」と当時を思い出しました。私自身女子校で12年間を過ごし、今思えば、かなり偏った教育を受けてきたかもしれません。でも色々な価値観があることを知り、色々な環境で育った子どもたちがいることを知って、子どもたちと一緒にこれからも学び、成長していきたいと思っています。(中学校教師) 色々な環境で生活をしている子がたくさんいるということ、つらい状況におかれている子の現状を知ることができました。そのような環境におかれている子がどんな場所でもいい、どんな人でもいいので、「話ができる」ということがとても大切だと思いました。話をすることもとても勇気がいることだと思います。少しでもその勇気を出せる、出してもいいかなと思ってもらえる存在になりたいと思いました。ありがとうございました。(中学校教師) 子どもたちを取りまく家庭、学校の様々な問題とそれに関わる先生の実体験などもお話しいただき、とても勉強になりました。最後にお話しいただいた『さなぎ』のお話がとても印象に残りました。思春期のさなぎの子どもたちが自分で自分を見つけ飛び立っていく支えになれる存在でありたいと思いました。本日はありがとうございました。(中学校教師) 今まで自分は不幸な家庭だと思っていました。ですが、今日の金子先生のお話を聞き、自分の家庭は普通幸せなんだと気付くことができました。ボランティアをしていく中で、今日お話ででた子どもと会うかもしれません。どう接したらよいのか分からなかったら、金子先生に相談したいと思いますので、その時はどうかよろしくお願いします。(高校生) 心と体の健康に加えて、セクシャルエルスという側面からのサポートが必要というお話があり、納得しました。性化行動も初めて聞くお話で、分かって生きていることも増えてきていると理解しました。この分野をもう少し追いかけてみたいと思いました。(大学教師) どの地域でも大なり小なりの子どもの抱えている問題があるのを再確認した次第です。先生がこの世界に踏み込みたいと思うほど、子どもたちが窮地におちいっているのをもっと切実に感じなければと思いました。本日は参加させていただきありがとうございました。(養護教師)
2017年11月27日 理論学習会 10月 思春期のさなぎたち
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内 容 「母親を励ますことで、子どもを育てる ~生活綴方の実践を通して~ 」 (講師 伊藤久美子先生 埼玉県所沢市立宮前小学校 ) 日 時 2017年9月2日(土)14:00~16:00 場 所 大和市文化創造拠点シリウス603号室 参加者9名 9月の理論学習会では、伊藤久美子先生を講師としてお招きし、先生が小学生の男の子を担任した時の『記録』をもとに、生活綴方の実践をお話していただいた。周辺の子とは違った行動をする男の子の子育てに悩むお母さんと綴った5冊にもわたる連絡帳がその『記録』である。 伊藤先生の生活綴方の実践からは2つの変化を見ることができた。1つは教師が寄り添い、励まし続けることにより前向きになっていったお母さんの姿。そしてもう一つは、男の子が自分の言葉で表現することができるようになっていった姿である。 その背景には、先生がお母さんを毎日のように励まし続ける言葉、子どもを見守る温かい言葉であふれていた。教室の中で乱暴な行動に出たり、自分の髪の毛を切ってしまったり、いろいろな行動をしていた児童が『言葉』を獲得することで、自分の気持ちを表現できるようになり、お母さんを悩ませていた行動も少なくなっていった。 『言葉』の獲得には伊藤先生の丁寧な取り組みがあり、「書いてあげるから言ってごらん」と、その児童の気持ちの表現を出すということから少しずつ自分の言葉として書くことを覚えていった。彼は「それまでつらいこと、悲しいこと、くやしいことは、きっと、心の奥にしまって出さなかったのだろう」、「出せなかったから勝手な行動に表れた」と先生は語った。実際に、自分の思いを出すことができるようになってからは、彼の行動は落ち着いていった。 先生は、困っているお母さんに対して「(先生が)困ったことは書かなかった」と言う。そのお母さんがどれだけ大変な状況の中で子育てをしてきたか、そして、どれだけつらい思いをしてきたか、それを先生は知っていたし、これ以上お母さんを責めることをしなかったのだと思う。それよりも先生が選択したのは、一文字一文字、言葉でお母さんに寄り添い続けることだった。 「母親を応援することがその子を育てることに繋がった一年だった」と先生は語っている。この『記録』の中でお母さんの「今は子育てを楽しめるようになった」という言葉が印象に残った。伊藤先生の実践はとても心温まるものであり、教師ができることの可能性を教えていただいた学習会だった。 参加者の感想(一部) 学習会に参加できて、本当に良かったです。自分なりには子どもたちや親の気持ちに寄り添って、実践してきたつもりですが、今日の伊藤先生や佐藤先生のお話でまだまだだと実感しました。信頼関係を築くことが、自分のことを語り始めることにつながるのだと痛感しました。寺子屋に集う子どもたちとも、こういうつながりを大事にしたいと思いました。(元小学校教師) 伊藤先生とT君のお母さんとのやり取り、またお母さん、Tくん2人の成長のお話、とても感動しました。また、伊藤先生の保護者、子どもとの向き合い方、とても勉強になりました。私も少しでも子ども、そして保護者に寄り添える教員を目指して子ども・保護者と向き合って行きたいと思いました。(中学校教師) 本当に感動しました。お母さんにとって本当につらい時期に伊藤先生のひと言ひと言でたくさんたくさん救われたんだろうな、と実践を聞いて思いました。(経済的・社会的)貧困からくるお母さんのつらさと先生の言葉から伝わるあたたかさを想像し、何度も胸が熱くなりました。自分を語ること、綴ること、記録すること、その大きな意味をとても感じました。ありがとうございました。(中学校教師)
2017年09月24日 理論学習会 9月「言葉」を獲得すること
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内容 『女性の貧困から見えること』 講師 首都大学東京 杉田真衣先生日時 2017年 7月3日(月)19:00~21:00場所 大和文化創造拠点シリウス603号室参加者 10名 多くの教師は、困っている状況にある子どもを「何とかしたい」と働きかけようとする。その時、お母さんたちの問題にかなり多くの教師が直面することだろう。貧困という言葉の下にある現実は、労働、孤立、暴力…様々な問題を抱えている。子どもの貧困を考える上で、女性の貧困の状況を知る必要があるのではないかと考え、今回は長く女性と労働に焦点をあて研究されている杉田先生をお呼びして話をしていただいた。女性の貧困がなかなか語られない背景に、女性は夫に養ってもらえばよい、それゆえに女性の労働は、非正規、低賃金でもよいとされてきた経緯がある。男性すら非正規労働の中にあり、養ってもらえない女性たちが、労働の問題に直面し、その問題が明らかになってきたのである。 杉田先生の高卒女性たちが30歳になるまで追い続けたインタビュー調査からは、女性たちの現実が浮かび上がってくる。 貧困状態に陥る女性たちの多くは、学生時代から家庭の状況が落ち着かず、生活のためにバイトをしていたり、落ち着いて学習できる環境になかったりしる。彼女たちが、正規の仕事に就くこと、奨学金を申込み進学できること、はとても高い壁がある。非正規で安定した収入を得られない中で、正規なみに働かされる。仕事を通じて、アイデンティティを形成することが難しく、将来展望も描けない。経済的自立の困難は、明白であった。今ここにいるという感触を得られる関係や場が、女性たちのこれからにとって重要な意味をもつ。どこにもアクセスできないお母さんたちが、子どもを通じてかろうじて学校にそれを求めることは、自然な流れなのかもしれない。ただ、学校はその道の専門機関ではない。親の状況を個人の問題と片づけることなく、やはり専門機関と手を携えて親を支えていくことが必要だ。学校が、お母さんの困り感を受け止め具体的な方策として行政につなぐ、ということも実際にあることのようだ。地域の中に、居場所のような場があることが、今後は必要であるのかもしれない、と先生はおっしゃった。 学校以外にも、生活していくために必要な情報が得られ、場合によっては専門機関につながれる場であると同時に安心していられる居場所をあちらこちらにつくること。そして、女性たちが生きていく上で必要な知識や技術を伝える事。妊娠や性感染症、暴力、依存症を含む病気、労働のルール、生活保護や育児支援、先生が挙げた具体例は、生きる上で知るべきことでありながら、タブー視され学校現場で正面から扱われることは少ない。この点についても、教員の立場からアプローチできることがあるのではないかと、今後の課題をいただいたように思う。10月の学習会では、元養護教諭の金子先生をお招きし、性と女性の問題をお話ししていただく予定なので、そこでさらに勉強していきたい。 ◎以下、参加者の感想一部抜粋 女性の貧困の現実を感じました。特に仕事に対する自己満足感のなさ、金銭的な貧困とこれは深い結びつきがあると思います。仕事をしていく上でのやりがいやアイデンティティの形成こそ、私たちが仕事をする大きな意味なはずなのに・・。目の前の子どもたちに何ができるか、もっと具体的に、もっと実践的に考えていかなければいけないと実感しました。いつも貴重な学びの機会をありがとうございます。(中学校教諭)自分の想像を超える女性の貧困の実態をお聞きして生きていくことの困難さを感じました。子供を抱え、一人親の母親など、目の前の生活にいっぱいいっぱいで、余裕がない中暮らしていることを思うと学校としてできることはしていきたいと思いますが、社会としてそのような女性を救う場所、制度、支援をもっと整えていって欲しいと思いました。(小学校教諭)4人の方のお話を聞くと、人への依存が高く強く、そこから大変さにつながっている場面もあるのかなと思いました。一方で友人との関係性の中で保たれている部分もあり、依存の善し悪しがあるのかなと思いました。学校の中で知識として伝えるときに、どこまで自分の将来に繋がっていることとして教えられるのか、また生徒の親が生活保護や非正規労働、様々な病気等、「今その状態」の中でどこまで教えていいのか、教えることができるのか、難しいなと思いました。(中学校教諭)今日はありがとうございました。「女性の貧困」について知っていると思っていただけで、実はその人たちがどんなふうに生きているのかは、よくわかっていなかったんだなと言うことが、今日のお話を聞いて分かりました。社会は貧困を「その人のせい」としてしまいがちだと思うのですが、決してその人たちが怠けたり楽をしたりしているわけではない。どうしようもできなくて「貧困」という状況におちいっているだけだということをもっと多くの人が知らなければ、日本という社会は良くならないなと思います。考える、とても良い機会をあたえていただきました。ありがとうございました。(小学校教諭)今日はありがとうございました。「男性」と「女性」の違いがとてもよくわかりました。やはり女性は苦しい立場に置かれることが多いと思います。それは日本の歴史の流れもあるとは思いますが、これから貧困を抱える女性を、どのようにサポートしていくか。地域や社会とのつながりの必要性をとても感じました。また、その貧困が連鎖をしていくということも気になるところです。その連鎖を断ち切るためにも、やはり地域とのつながり、そして、子どもたちをその連鎖から抜け出すために、学校として何ができるのか、これからも考えていきたいと思いました。ありがとうございました。(中学校教諭)
2017年07月21日 理論学習会 7月理論学習会報告