-
内容 『子どもが考える授業づくり』 (講師 小田原市立白山中学校 柏木 修先生) 日時 2017年 6月5日(月)19:00~21:00 場所 大和文化創造拠点シリウス603号室 参加者 5名 「野宿者問題」を授業で取り上げる柏木先生から、貧困問題を取り上げる際の視点、授業展開の視点を学ぶ学習会となりました。 先生は、語教育(国語教育)の目的は主権者を育てたい、自分の意見(思想)を持った人を育てたい、幼児化している生徒を知的にしたいことなんだと明確な姿勢をもち、「野宿者問題」の他に、「ゲイや性同一性障害の人たちと出会う」「死刑制度」など、様々な問題を授業で取り上げています。それらは、社会が 痛みとして抱えるべき問題でありながら、見て見ぬふりであったり、排除であったりという形で正当に取り上げられることが少ないことばかりです。いじめを考える、少数側を考える学年づくりを考えて、このような授業をされているというお話から、学年規模での想定に驚きました。 柏木先生の授業は、テーマに関連する本を読んだり、憲法の精神を学んだり、当事者と生徒が実際に出会う中で、生徒が考えを深めていきます。自分自身と対話し、また他の生徒と紙上討論を経て対話することで、考えを深めていくのです。 野宿者問題を考える授業では、「『ホームレス』に出会う子どもたち」(一般社団法人ホームレス問題の授業づくりネット)DVDの視聴、「どんとこい、貧困」(著 湯浅誠 イースト・プレス)講読、権利の視点からの憲法学習などを通して、生徒たちが自分自身の考えを何度も見つめなおすことになります。自己責任論を乗り越え、人として自分は何を大切に生きていくべきか、社会の在り方をどう考えていくべきか、とことん真剣に考えます。それは、主権者である自分として生徒たちが知的に変容していく姿でもあります。最終意見は、定期テストの「書く」テストで表明します。 「政治が変われば、世の中も変わる。学んでいかないと、もっていかれるんだ。」という先生の言葉に、授業の可能性、集団としてともに学ぶ可能性を強く感じました。貧困問題は、誰にでも起こりうることです。自分の持つことが、自分を守ることにつながるのだと思いました。「自分も生徒との対話を通して乗り越えていく、変わっていける。」とおっしゃった言葉が心に残りました。 運営面としては参加者が非常に少なく、大変残念でした。エドベンチャースタッフや周囲への声掛けが課題です。 ◎参加者の感想(一部) とても勉強になりました。本当におもしろいお話ばかりで、先生の実践や子どもたちの意見を聞いていたら、何だかワクワクしてしまいました。「自分を見つめ直す」という言葉から。私自身も『考える』ことをもっとしたいと思いました。『考える』ことの楽しさをもっと子どもたちに体験・経験してほしいと思うと同時に、そういう授業の展開を目指していきたいとおもいました。ありがとうございました。(中学校教師) 型にはまった授業からは学べないことを学べるなと思いました。「自己責任論を『のりこえる』」ということは私にも必要だと実感しました。また、国語の授業の工夫も大変勉強になりました。今日伺ったこと、ぜひ私も授業に取り入れてみたいです。本当にありがとうございました。(中学校教師) 大変、おもしろい報告で、勉強になりました。自分自身の考えを整理するために、子どもと対話し、自分をのりこえていくというお話がためになりました。(大学教師)
2017年06月19日 理論学習会 6月 理論学習会 報告
-
内容 『子どもの主体的な学びと生活綴方―「学力」支配から自由になる―』 講師 和光大学 奥平 康照先生 日時 2017年 5月8日(月)19:00~21:00 場所 大和文化創造拠点シリウス603号室 参加者 11名 1951年3月に無着成恭が発行した『山びこ学校』(青銅社 現在:岩波文庫)から、生活綴方の実践をみた。この山形県山元村という貧しい村にある学校での実践は、『子どもたちの生活記録』で、それを学級文集にしたものだった。ある生徒は『雪』を、ある生徒は『母の死とその後』をタイトルに、自分自身の感情を記録している。その『記録』は正直な子どもたちの生活が記されていて、「どうやったら貧乏から抜け出せるか」、真正面から考えようとしているものだった。1人の子が抱える困難を学級の生徒が支える。子どもたちが自分の貧困を見ようとする、子どものつらさを教師が知る、そして寄り添い、支える。そんな実践をみることができた。 生活綴方は子どもたちの共通の課題に取り組むときにとても有効であるが、1960年代から生活綴方が消えていった。共通の課題であった『貧困』は、国が豊かになり、特別な課題となってしまった。 今、生活綴方を実践しようと思ったとき、子どもたちは自分の生活記録を真正面から記せるのだろうか。周りの生徒との生活環境の違い、経済の背景、様々な自分自身の課題を見つめた生活綴方ができるのだろうか。「貧困」を隠さず記し、自分の課題として学級文集にできるのだろうか。また教師は、その子どもたちの本当の課題を真正面から受け止めることができるのだろうか。子どもたちの抱える生活にまで入り込んで一緒にその子のつらさに寄り添い、一緒に解決へ向かっていく覚悟を持てるのだろうか。そんなことを考えさせられた。 また、生活綴方は、「子どもたちが本当に学びたいことは何か、見つけなければならない」ということの問いにもぶつかる。学校で学ぶことと本当に子どもたちが学びたいこと。 これからの社会をつくり生きていく子どもたちが、自分たちの課題を見つめ、解決する力をつけるために教師は何ができるかを考えるきっかけとなる学習会であった。 ◎以下、参加者の感想一部抜粋 「生活の課題を見つめ取り組むこと」 今を生きる子どもたちにとても必要で大切なことだと思いました。学力向上が注視される中で一人一人が抱える課題をキャッチしていかに寄り添えるか、教師としての技量を高めなくては、と思いました。 実感を持った日々を切り取らせること、自分の感情をそのまま表現させること、現代の子どもたちにとっては、難しい部分もあると思います。でも、この仕事に就き、日々子どもたちと過ごしている今だからこそ、できることがあるとも感じました。子どもと“ともに”辛いことも嬉しいことも分かち合える教員でありたいです。 子どもたちが自分の生活をありのままに書く、書けるようになるには教師と子どもたちの距離がとても大切だと思いました。子どもたちの現状を、苦しいことも悲しいこともその実態を教師がしっかりと見つめ、寄り添うことができなければ、成り立たないと思いました。ただ、その苦しさ、悲しさをその子の周辺にいる子どもたちが共有するということは、様々な家庭環境がある現代では難しさを感じました。ですが、子どもたちにできるだけ寄り添い、今できることをしたいと思います。 「子どもたちが学びたいことを子どもたちと一緒に探す。ただし、子ども自身も何が学びたいかわかっているわけではない。」 というお話が生活綴方を端的に表しているようで、久しぶりに色々と思い出しました。現代版の生活綴方を先生方と一緒に考えていきたいと思います。
2017年05月21日 理論学習会 5月理論学習会の報告
-
内容 『学級づくりの基本―子どもたちをどう捉えるか―』 講師(日本女子大学 清水睦美先生) 日時 2017年 4月10日(月)19:00~21:00 場所 大和文化創造拠点シリウス603号室 参加者 23名 新学期をむかえ、子どもたちとの新たな一年を構想する教師たちにとって、学級をどうつくっていくのか、子どもたちをどうとらえていけばいいのかという視点は欠かせない。 集団作りの技術として、教室を「集団」」として見た時の子どもたちの位置取りを中心、周辺、様子をみてリスク回避する子に分類し、集団を捉える視点や、いじめの構造を加害者、被害者、観衆、傍観者に分類し、いじめのタイプを捉える視点を示していただいた。トラブルの当事者だけでなく、それを取り巻く周りの子たちの位置取りや関わり方こそが重要な糸口であり、正しく捉えることが大切だということが明らかになった。 学校がまとまるとき、排他的な雰囲気が生まれ、みんながまとまる行事ほど、雰囲気が一元化し、いじめが起こりやすいという話に、若手教員たちは、「今までまとまることがいいことだと思っていた。」「団結しよう、と子どもに言っていた。」と自身の教育活動が意味することを振り返り、これからの学級集団において何を目指すべきかという問いにぶつかった。 そこで、清水先生からは、教室を多様な価値を学ぶ場と位置付ける事、教師は個人としての価値観を磨くこと、が必要だというお話があった。教室の中で、誰がどんな思いをしているのかという関係性へのアンテナを高くもつことで、子どもたちは、関係を編み直し、多様な価値観を学んでいくはずである。雰囲気の一元化を助長するのも教師、壊すのも教師。教師のもつ権力がいかに学級集団に影響を与えるのかを考え、これからの一年を過ごす子どもたちに、集団としての力をつけることができるのだろうか、ということを参加者自身が考えるきっかけとなった学習会となった。 ◎以下、参加者の感想一部抜粋 周辺として中心をつくる経験を学ぶということころが、難しいけれど大切だと感じました。 小学校の活動には効果的なものが多くあると思います。授業だけでなく係活動や行事など一つひとつを学級集団をどう形成していくかと照らし合わせることが重要だと思いました。:小学校教員 学級の雰囲気から・・・(ヴァルネラヴィリティ)は中学校の世界ではわりと多く習慣・文化として残っているものだと感じます。世代が違うと価値観も当時、通用していたことも通用しなくなるのは当たり前のことですが、日々の忙しさと経験の少なさからそのような習慣に楽だからすがるような場面(先生)を多々見てきたので、まずはそのような考えや習慣を断つとことから自分は始めようと思います。:中学校教員 集団の位置取り・関係づくりの難しさを感じました。教室が、ただ子どもたちが群れる場ではなく、多様な価値を学ぶ場となるよう、自分自身が価値観を磨き、柔軟な部分と一貫した部分をはっきりとしっかりともてるようにしていきたいと思います。これから学級経営をしていく中で、今日の学びを自分の中に落とし込んで行きたいです。 現場では、「対集団」ではなく、「対個人」への対応が求められています。いろいろな生徒がいる教室の中で、その「個」をどう集団の中に位置づけ、子どもたちどうしの関係をつくっていくにはどうしたらいいのか、最近考えています。また、「リーダー」を固定化させている現状にも反省です。もう一度、自分の学級経営を考え直そうと思いました。「個々人が大切にされる」そんな学級集団をつくりたいです。
2017年04月20日 理論学習会 4月理論学習会の報告
-
内 容「中学校卒業後の進路」 〜大和の子どもの中学卒業後の進路と現状〜 報告者:村本 綾 日 時:2016年12月5日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 202号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:3名 12月の学習会では、「進路」についての学習会をおこないました。これまでの理論学習会では扱っていなかったテーマではありましたが、義務教育の終わる中学校卒業後にはどのような進路が待っているのか、という疑問から今回のテーマを設定しました。 神奈川県内の高等学校の変容を学習するなかで、多様化の進む高等学校ではその目的に大きな差があり、高校入試や学習システム、高校卒業後の進路にいたるまでその差がつきまとっている現状が見られました。しかし、中学校の間にその「差」を見通した進路指導ができていないのではないかということや、将来(高校卒業後)の子どもたちの就職を考えた場合、社会の中のどのような現実に向かっていくのかを中学校教員が話をしていく必要があるのではないかという話が出されました。 中学校では子どもたちの将来を考え、高等学校への進学をすすめています。今回学習会で出された中学卒業後の進路の現実を子どもたちに伝えるためにも、今後は、高等学校そして高等学校卒業後の現状をより知ること、現場や当事者の声を聞く等から知識・理解を深めていくことが必要です。今回の学習会では、その「課題」にどう取り組んでいくか、学校で何ができるのかを考えさせられる場となりました。 〈参加者の感想〉 教育格差という言葉がけっこうつかわれる中で、学校はもう少し世の中の現実のことをきちんと教える必要があると思う。上は上で生きていけばいい、下は下で、というのが今回よく見えた。(小学校教諭) 中学校・高校卒業後のことを正直あまり考えたことがなかったように思います。子どもたちと関わる時間は確かに3年間という限られた時間ですが、その後の現状・現実を私たちがもっとしっかりと知らなければならないと思いました。(中学校教諭) 高校に行かせることで、いっぱいになっている現状ですが、今回話題になった、高校入学後、卒業後の進路の現実をどこかで伝えなくてはと思いました。少なくとも進路指導するにあたる立場として、この現実を知っておかなければと思います。(中学校教諭)
2016年12月31日 理論学習会 12月の学習会報告
-
内 容「特別の教科 道徳」勉強会 日 時:2016年11月7日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 202号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:5名 11月の学習会では、2018年度から小学校で、2019年度から中学校で実施される「特別の教科 道徳」についての勉強会を行ないました。道徳に係る学習指導要領の一部改正により、検定教科書を使っての授業が展開され、担任が評価をすることになります。 今回の学習会では、育鵬社が出している一般書籍「はじめての道徳教科書」の一部を読み、その内容について参加者で意見交換をしました。 評価については、数値で表さないことや入試には使わないこと、「励まし、伸ばす」積極的評価を行なうという点を確認することで、道徳的価値を評価するものではないということもわかりました。また、「特別の教科 道徳」の授業では、価値観を押し付けるものにならないよう、使われる教科書や資料などの内容を読みこみ、子どもたちの「価値観をゆらす」ことや「『あたりまえ』をかえる」視点を持った授業をすることが必要であるという話がなされました。 「特別の教科 道徳」をどう授業し、評価をしていくか。実施をむかえる前に、何を準備したらよいのかを考える学習の場となりました。
2016年11月16日 理論学習会 11月理論学習会報告
-
内 容「子どもの実態報告」 報告者:市内小・中学校教員 日 時:2016年10月3日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 202号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:4名 10月の学習会では、前回(9月)の学習会で野本三吉さんの「裸足の原始人たち 横浜・寿町の子どもたち」を読みあい、子どもとの関わりがキーワードにあげられましたことから、大和市内小・中学校教員による「子どもの実態報告」を行いました。 報告から聞こえてくる子どもたちの実態は、貧困や家庭環境等において、厳しい状況に置かれている現状がありました。子どもたちの持っている「困難さ」は様々で、報告のあった子どもたちに対しての関わり方をどうしていくべきか参加者で意見を出し合いました。また報告からは、子どもはもちろんのこと、その親たちも厳しい状況に置かれているというものばかりでした。 子どもたちにどれだけ関わっていくのか、また、子どもやその親にどう切り込んでいくのか。とにかく、自分たちにできる関わり方をひたすらにやっていくしかない、と参加者で再度確認することのできる学習会となりました。 〈参加者の感想〉 子どもたちをどう見るか、どう関わっていくか、家庭への関わり方など、最近疑問に思っていたことが話せて良かったです。(中学校教諭) 私たちにできることは何があるのか。中学生の間に何ができるのか。どんな力をつけてあげられたらよいのか。どこまで関わっていいのか。関われるだけ自分にできることをしていきたいと思いました。(中学校教諭) 色々な報告を聞く中で、これから自分がやるべきことが少し見えた気がしました。みなさんが色々な視点でお話をしてくださり、とても考えさせられました。ありがとうございました。(中学校教諭) クラスで困っている子の親はだいたい困っている。これまで散々、学校から「困る。こうして」と言われてきた。そして、世の中のプレッシャーやしわよせを一身に受け、それを子どもにぶつけるか、自分が病んでいく。まず、関わるところからしか何もないんだなぁと思った。(小学校教諭)
2016年10月20日 理論学習会 10月理論学習会 報告
-
文献講読「裸足の原始人 —横浜・寿町の子どもたちー」著:野本三吉(新宿書房) 日 時:2016年9月5日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 202号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:7名 9月の理論学習会では、野本三吉さんの「裸足の原始人たち —横浜・寿町の子どもたち」という本から文献講読による学習会をおこないました。横浜のドヤ街、寿町にすむ子どもたちの野生のたくましさと可能性を秘めた様が描かれたノンフィクション作品である今回の文献には、著者である野本三吉さんが寿町でともに生活し、出会ってきた子どもたちやその家族の生活している状況が克明に刻まれていました。 文献講読の発表が終わった後の話し合いからは、野本三吉さんの子どもたちとの接し方・関わり方として、「子どもたちにどう切り込んでいくのか」ということを考えていきました。私たちは、いま目の前にいるその子の置かれている家庭状況、その子の家族が置かれている社会状況・・どこまでを理解して接していたのかと、考えさせられました。 また、どんなにもがいても苦しい状況から抜け出せないでいる子どもたちやその家族が置かれている背景としての社会構造についても、もっと理解することが必要であるという話もなされました。 〈参加者の感想〉 時代背景の違いはありますが、子どもを見守る視点、支え方、アプローチの仕方の参考にとてもなりました。聞く耳を持つ、心を開いて話してくれるのを待つ大切さも感じました。(中学校教諭) 本を読んで、その子の生活を知らなければ本当の願いや思いを受け止めることはできないという言葉に衝撃を受けました。子どもたちと過ごす中で、そこまで深く知り、関わることができているかと問われたら、まだまだ不十分だし、もっと寄り添える部分があると思いました。(小学校教諭) 関わるというキーワードが出てきましたが、心情だけでなく、その背景や社会とのつながりの上でその子の居る場所を見つめなければいけないと思いました。現場の大変さもありつつ、せっかく子どもたちと日々過ごしているので、そこでの可能性を見出したいです。(小学校教諭) 本を読んでいなくてすみませんでした。子どものことをどれだけ切り込む?と聞かれたとき、自分たちが見ている子たちをどれだけ見えているのか、全然足りてないんじゃないか、と見つめ直す機会となりました。ありがとうございました。(中学校教諭) 「1人の子どもについてどれだけ語れるのか」とても重たい言葉でした。関わっているつもりで、実際に語れと言われると、私自身がどれだけ深くまで切り込んで見ているのか、考えさせられました。野本さんの関わり方、切り込み方、もう一度その視点から読んでみたいと思いました。(中学校教諭) 野本さんの子どもたちとの関わり方、距離のとり方、子どもたちを見つめる視点など考えさせられ、自分自身の子どもたちとの関わり方を考え直すとてもよいきっかけになりました。(中学校教諭) 野本三吉さんの子どもと接する時の切り込みの深さに学ぶことが多くありました。このように子どもを語れるようになりたいと思いました。(大学教授)
2016年09月21日 理論学習会 9月 文献講読会報告
-
小学校・中学校の社会科教科書から読み解く「戦争」~平和をどう授業するか~ 報告者:村本綾(つきみ野中学校) 日 時:2016年7月4日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 101号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:4名 つきみ野中学校の村本先生より、社会科の教科書比較から見える歴史(第一次世界大戦、第二次世界大戦)記述についての報告がありました。教科書によっては、反戦を訴えた人物が取り上げられていなかったり、いかに戦争に貢献したかという記述に重点が置かれていたりと、複数比較することで、歴史に対する視点がかなり違うという事が明らかになりました。どの教科書を扱って授業するかによって、戦争という歴史に対する視点が変わってくるのではないかということも話されました。また、自民党が発信している「〈中学教科書7社の比較調査〉新教育基本法が示す愛国心、道徳心を育む教科書を子供たちへ」では、教科書が点数で評価されており、教科書採択の今後を懸念するとともに、愛国心や道徳心という言葉に絡めながら戦争・平和というものが教育現場の中で語られていくことの危険性が感じられました。 報告を受け、過去から学ぶ戦争と平和だけではなく、今起こっている世界の戦争の問題や国家間の問題を扱うことで、問うべき真実に向き合うことができるのではないかという意見もありました。授業時数や受験に対応せざる負えない授業展開などの課題もありますが、それ以上に、平和に関する内容であっても教科書の範囲を超えた授業展開について問題視された経験をもつ教師もおり、その規制の強さに不安を感じる参加者もいました。教師自身が自己規制をしてしまう雰囲気の強さが現在あるということが問題ではないかということも強く感じる学習会でした。
2016年07月25日 理論学習会 7月 「平和をどう授業するか」 報告
-
文献講読「つながりを煽られる子どもたち 〜ネット依存といじめ問題を考える〜」著:土井隆義(岩波ブックレット) 日 時:2016年6月6日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 101号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:7名 7月の学習会は「つながりを煽られる子どもたち 〜ネット依存といじめ問題を考える〜」著:土井隆義(岩波ブックレット)の文献講読を行いました。 前半の文献講読の報告からは、スマホや携帯電話が友達づくりに欠かせないアイテムとなっている今、常に「つながる」状態にあることがどのように子どもたちの集団づくりに影響しているかが分かりました。 後半の話し合いからは、子どもたちの集団には「リスク回避」がベースにあり、その回避を基準に友だちづくりがされているのではないか、という意見が参加者の中からありました。職場など、大人の人間関係にもそれはみられることで、「(集団から)浮くのがいや」などの場面が見られることは多いのではないか、という話もありました。 今回の学習会では、「リスク回避」が蔓延る中、学級づくり・生徒指導をどうすすめていくべきか、また、子どもたちの友だちづくりのベースをふまえた今後の集団のとらえ方、指導の在り方を考えさせられる勉強会となりました。 〈参加者感想〉 ・今日は、ありがとうございました。私ばかり話してしまって、私の悩み相談のような感じになってしまいました。でも、リスク回避の集団の典型のようなクラスを打破する糸口が少し見えたような気がします。ネットがマイナスなムードの一因にはなっているかもしれませんが、すべてではないということは、頭にいれておかないといけないなと思いました。 ・リスク回避をベースに集団化しているグループを 想像するだけで息苦しい気がします。この息苦しさから子ども たちが抜けていける生徒指導がなされるといいなと思います。 ・リスク回避を怖がることない集団づくりが大切なことだと気づいた。 ・リスク回避の話は子どもたちの集団や職場集団を考えた時にすっきりと落ちてきましたリスクを冒せる子ども、教員となっていくためにがんばらねばと思いました。 ・何回も感じたことですが普段意識していないこと考えるべきだと思う ていたことを改めて考えられる場だと感じ ています。誰かと繋がっていないと安心できない子供達にどう介入しアプローチしていくか、また考えたいと思 います。「自分を認め」「他者を認め」られる人になりたいと私自身も思いますし、子供達にもそうあってほしいと強く願います。
2016年06月27日 理論学習会 6月理論学習会 報告
-
実践報告「学級づくり」 報告者:西岡 歩(中学校教諭) 馬場 有希(小学校教諭) 日 時:2016年5月2日(月)19:15~21:00 場 所:冨士見文化会館 201号室 (大和駅徒歩 1分) 参加者:10名 小学校・中学校、それぞれの実践報告から「学級づくり」というテーマで学習会をおこないました。先月の学習会「学級集団をどうとらえるか」の視点をもって、「学級集団」について、参加者で話し合いをしました。 実践報告では、「学級集団の中で大切にしたいこと」として、小学校からは「話し合いができる集団」づくりのために学級会を開催すること、中学校からは「クラスが良くなるための幹が何かを考え、一人一人がクラスの中で助け合ったり声を掛け合ったりすることができるようにする」ことが話され、そのために行なっている授業の実践も報告をしていただきました。 報告後は、学級目標は何のためにつくるのかということや、一元化する学級集団を多元化していくために教師がどう働きかけるのかということについて話し合いをし、これまで「あたり前」と思っていた学級経営を一度振り返って考え直す機会となりました。また、自分の(教師の)子どもたちとのコミュニケーションの取り方を分析することも大切だということが分かり、自分自身のこれまでの行動についても考えさせられる勉強会となりました。 〈参加者感想〉 学級目標についての話し合いを聞いていて、目標をなぜつくるのかという理由がないのにもかかわらずつくってしまうことは少し怖いことだと感じました。目標があるからルールを守るということが嫌いなので学級目標はこのままつくらないでいこうと思います。他の先生の話が聞けて良かったです。(小学校教諭) クラスの子どもたちが一元化することのこわさを感じました。多様な活を認めあえる集団にしていけるよう、教師としての思いをしっかり持って子どもたちに伝えていきたいです。意見がぶつかり合う現場(教室)で子どもたちに寄り添うパワーもしっかり持っていきたいです。(小学校教諭) 一元化から多元化にしていく重要性や、今、子どもに何を求めるのかをふり返る良いきっかけになりました。(小学校教諭) 中学校の実態等を知ることができて良い機会になりました。皆様の困り感等を共有しながら話し合いができてとても勉強になりました。(小学校教諭) 今年初めて担任として自分のクラスを持ったことで悩むことが昨年度までの何十倍にも増えました。今日のお話の中で、『一元化』『多元化』というキーワードを元に、考えさせられることがたくさんありました。あたりまえのことのようにつくった学級目標・・・ハッ!!と気付かされました。『教室』を1つの『社会』とした時、何を大切にするべきか、もう一度改めて考えてみようと思います。(中学校教諭) 前回、『一元化』という話を聞いて、学校の中で自分自身が感じていたモヤモヤをこの場で話し、いろいろな話しを聞くことができ、自分の思いを再確認し、深めることができました。とても貴重な時間になりました。(中学校教諭) 同質的なつながりからの関係と、考えのずれから生まれる関係にお互いを知ることへの違いがあることを知ることができた。自分のコミュニケーションの仕方が人間関係を難しくしているのかもという仮説から、もっとその状況を変えるためにできることはあると思った。いろんな意見が聞けて良かったです。(中学校教諭)
2016年05月16日 理論学習会 5月 理論学習会 報告